ソフトバンクホークスの「V4」で幕を閉じた、20年の日本プロ野球。かつて、森祇晶監督が西武ライオンズを常勝球団に築きあげたが、工藤公康監督も同様、いやそれ以上のチームを作りつつある。もっとも、このホークスの強さは、現会長の王貞治氏が監督時代に礎を築いた功績が大きいことだろうが、意外にも王監督が監督に就任した1995年から3年間、Bクラスにとどまっていたことは記憶にあるだろうか?
元プロ野球選手であり、98年にはホークスで二軍監督の経験もある石毛宏典氏が、自身のYouTubeチャンネル「石毛宏典TV」で昨年11月25日、〈星野さん、王さん、長嶋さんなど、歴代監督を振り返って、名将を選びます!〉とタイトルをつけた投稿回で、間近で見ていた石毛氏の立場から当時の王監督を振り返っている。
王監督は、Bクラスに甘んじていた当時から、「優勝」を旗印に掲げていたという。目標を「Aクラスにした方が…」といった風潮もあった中、意外にも優勝の目標を下げることは一度もなかったそうだ。
そんな中、王監督に恥をかかせていいのかと立ち上がったのが、名球会選手の小久保裕紀氏であり、それに続いた平成唯一の三冠王・松中信彦氏、全日本を代表してマスクをかぶった城島健司氏だった。そうした雰囲気を作り出した王監督について、「一度掲げた“目標”をどんなことがあっても下げずに、選手、部下に見えるようにしておく。そのために歩んでいく姿を率先垂範して見せていく。本来くじけるところを、王さんは見せていった。この姿に僕は、リーダーとしてのあるべき姿を見た気がする」と感慨深く語ったのだった。
巨人V9時代の最大の功労者である王氏が、まさかここまで大きな壁となって巨人の前に立ちはだかることを、誰が想像しただろうか?巨人は更なる成長のためにも、王氏を凌ぐ“リーダー”の誕生が急務となるだろう。(ユーチューブライター・所ひで)