「新型コロナが感染拡大する時代も、やっぱり人間、笑ったほうがいいよね」「カネに困った時、悔しい時こそ、寄席に行きたくなるちゅう話、よく聞くからね」──。恒例の「チン談マン談」爆笑対談は、酒のしくじり数知れずの三遊亭好楽師匠に、我が笑福亭鶴光師匠が落語の神髄と「笑点」の裏エピソードを聞き出した一席。トークの達人たちのゲイ談を堪能あれ。
《新型コロナで落語会中止と掛けて、アタシの今までの落語人生と解く。そのココロは、「よせよ!」》好楽
鶴光 新型コロナで落語会が中止となる中、どない過ごしてました?
好楽 閉じこもってましたね。で、弟子10人、孫弟子4人、息子の(三遊亭)王楽とアタシを入れた一門16人で川柳をしたの。最優秀賞1万円。競馬資金から出しました。連絡は密にならない電話かファックス。
鶴光 リモート出演みたいなもんや。
好楽 第1回のテーマ「コロナ」の最優秀賞は孫弟子・兼太郎の「外いけず 落語も出来ず 落ち着かず」。川柳のあとに「稽古お願いします」と言う弟子もいた。
鶴光 お弟子さんは食うに困ってまへん? 落語会の中止で給付金申し込む若手も多く、ウチの事務所に漫才で売れなんだものの、元税理士ちゅうことで芸人からの問い合わせが殺到してるヤツがおりまっせ(笑)。
好楽 ありゃあ。
鶴光 「笑点」(日本テレビ系)は史上初となる自宅からのリモート大喜利。ハプニングてありました?
好楽 放送中、玄関でピンポンって鳴ったの。ヤマト運輸だって(笑)。ウチの隣が公園で、子供が騒いでいて、みんな「うるせーな」って。あと、(林家)たい平んちの裏に救急車が来て、その音も入った。
鶴光 メンバーからネタにされると、「よせよ!」と返すことが多いやんか。
好楽 噺家はよく楽屋で「よせよ。それオレんだよ」なんて言ってたでしょ。それが始まり。
鶴光 ダチョウ倶楽部の「聞いてないよ」に似た感覚やね。昔、テリー伊藤さんがテレ東でムチャクチャな番組作ってた。稲川淳二さんやワシがヘビ1000匹泳いでるとこに放り込まれたり。聞いてないよ、そんなもん。「笑点」にも出演できないワシら、どんだけ苦労したことか。
好楽 芸能人運動会で、当時の新御三家(西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎)とマラソンやると、アタシや(三笑亭)夢之助は喫茶店入ってコーヒー飲んでる。どっちみち、映ってない。新御三家が汗かいてるとこしか撮らないんだから。
鶴光 大阪の深夜放送「ヤングタウン」(MBS)で、角淳一アナとのコンビが人気やった頃、アシスタントの石川優子の「シンデレラサマー」が「ザ・ベストテン」(TBS系)にランクインして、ワシら2人はバックで踊ることになった。毎日放送千里丘放送センターの横に波打つプールの施設があって、そこで踊ってたらバッシャーンて思いっ切り波をかぶってもうた。何さらすねん。逆上したで。ワシらの扱い、こんなもんや。
好楽 プールといえば、師匠の(五代目三遊亭)圓楽もある番組でプールに飛び込んだら、水がなかったの。で、骨折。天井から下げたヒモに足を通して、「いやあ、こんななっちゃったよ」だって。
鶴光 (林家)こん平兄さんて、どんな人ですか。
好楽 もうお世話になりっ放し。でも、兄さんが来ると嫌がるの。朝まで帰れないから(笑)。ある時、「二つ目に昇進した3人がこん平師匠に挨拶に行ったきり帰ってこない」って大騒ぎになった。3日間、ずーっと酒をつきあわされたの(笑)。
鶴光 監禁や。池袋演芸場でトリとってる時、初日、2日目と誘いに来て、もう今日は来ない思うたら、「甘いで」て入ってきた。
好楽 コースが決まってるでしょ。最後、浅草の寿司屋さんで朝4時頃、ヘベレケなのに大トロの握りが10貫出てくる。「こんなの食べられるわけない」って言ったら、兄さんは2貫ずつ5回に分けて食べた。胃に充満するアルコールをメシ粒で吸って、トイレで流せば治るって考え。
鶴光 正月に(林家)木久扇師匠と本誌で対談した時、「ライバルは昨年の売り上げ」やて。
好楽 台風で荒れた日、木久扇兄さんとアタシは地方で落語会があって、羽田空港行ったらほとんど欠航で、自分たちが乗る飛行機だけが飛ぶって。ムチャクチャ揺れてんの。それでも兄さんは「行かなくちゃダメだ」って言い張る。楽屋に一歩でも足を入れたらギャラになるんだって(笑)。
笑福亭鶴光(しょうふくてい・つるこ)1948年1月18日、大阪市出身。67年、上方落語の六代目笑福亭松鶴に入門。74年からニッポン放送「オールナイトニッポン」などのパーソナリティとして人気。東京を拠点に上方落語の発展に尽くす。上方落語協会顧問。落語芸術協会上方真打。J:COMJテレにて隔週土曜「オールナイトニッポン.TB@J:COM」などに出演中。「最近、昔の噺家の名演が配信されとる。エエこっちゃ。落語の配信と掛けて、二日酔いのクスリと解く。そのココロは、聴く(効く)と笑顔が戻るでしょう」
三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく)1946年8月6日、東京・東池袋出身。66年、八代目林家正蔵(のちの彦六)入門。林家九蔵を名乗る。79年、日本テレビ「笑点」の大喜利メンバーに。81年、真打昇進。82年の師匠彦六死去に伴い、83年五代目三遊亭圓楽門下に移籍。好楽に改名。一時、「笑点」を降板するが、88年復帰。12年、自叙伝「好楽日和。」(晶文社)出版。13年、自宅に寄席「池之端しのぶ亭」オープン。20年から圓楽一門会顧問。「100回の稽古より1人のお客さんの前で演じるほうが勉強になる。で、『しのぶ亭』を作ったの」