なんと、民主党と野党の自民党、公明党との「大連合」構想を打ち出したのである。これには、さすがに民主党内から「政権交代可能な2大政党づくりに成功したのに、あまりに矜持がなさすぎる」と大ブーイング、世論また「野合以外の何物でもない」と政権に背を向け、小沢グループの離党届提出に続いての政権ピンチに陥ったのだった。
まさに万事休すである。それでも、もはや政権のなり手がないこともあって、9月の代表選では、野田がなんとか「再選」された。ここで野田は改造人事を断行、当時、党内の「人気三人衆」と言われた岡田克也を副総理、細野豪志を環境相、前原誠司を政調会長のシフトで、10月29日からの秋の臨時国会での消費増税法案の成立を期したのである。自民党が法案成立に反対した場合は、「人気三人衆」を前面に立て、衆院解散・総選挙で国民の信を問うという腹づもりだった。
一方、時に自民党は9月の総裁選で、第一次内閣を投げ出した安倍晋三が対抗馬の石破茂を破って総裁に就任、政権奪還への執念を見せつけていた。
臨時国会終盤の11月中旬の野田総理と安倍総裁との「党首討論(クエスチョン・タイム)」は、野田が「社会保障と税の一体改革」のための消費増税法案成立へ自民党の協力を迫り、「協力を約束してくれるなら、ここで衆院の解散を約束する」と言明した。安倍は待ってました、政権奪還のチャンス到来と「協力」を約し、これにて12月の総選挙突入となったのだった。
結果は、野田にとってはすべてが裏目に出た。すでに選挙への取り組みは自民党が一歩も二歩も先行、民主党のそれを上回っており、案の定、民主党は惨敗した。ここに至って、野田は引責による辞意表明を余儀なくされた。
民主党政権は、自民党とは一味違った「脱官僚」「政治主導」によるこの国の舵取りを夢見たが、3年余で儚く散ってしまった。最大の原因は、鳩山、菅、野田の3政権がトップリーダーとしての「胆力」を大きく欠いていたことにほかならなかった。大局観、党内掌握力、国造りへの構想力、いずれも問われざるを得なかったということである。
野田に関して言えば、「どじょう」はやはり「うなぎ」にはなり得なかったのだった。
■野田佳彦の略歴
昭和32(1957)年5月20日、千葉県船橋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。松下政経塾第一期生。平成5(1993)年7月、衆議院議員初当選。平成12(2000)年、民主党から出馬、当選。平成23(2011)年9月、内閣組織。総理就任時54歳。現在63歳。
総理大臣歴:第95代 2011年9月2日~2012年12月26日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。