甲子園優勝投手で200勝以上を記録したのは、237勝の故・野口二郎氏(中京商⇒東京セネタースなど)と、201勝の平松政次氏(岡山東商⇒日本石油⇒大洋)の2人だけである。PL学園を優勝に導き、今年から巨人の投手チーフコーチ補佐に就任した桑田真澄氏でも日米通算142勝で名球会入りを逃している。
名球会が運営する公式YouTubeチャンネル「日本プロ野球名球会チャンネル」に、先に紹介した平松氏が出演。平松氏と言えば異名を取った「カミソリシュート」だが、この「シュート」誕生瞬間の仰天エピソードを平松氏が明かした。
1月27日に同チャンネルに投稿された動画を観てみると、話は平松氏が日本石油に籍を置いていた社会人野球時代に遡る。
平松氏が伊東スタジアムでキャンプをしていた時のことだ。ブルペンで投げていると、見知らぬ男性(後に、日本石油OBで、故・藤田元司氏の同級生と判明)が突如「平松、シュートボール教えてやろうか」と声を掛け、投げ方を指導したのだそうだ。
実践しないまま時を過ごし、プロ1年目3勝、2年目5勝と伸び悩んでいた平松氏に「他に球種はないのか?」とチームメイトから冷やかしが…。当時はストレートとカーブしか球種は無かったのだが、「あります!」と返答。頭になんとなく残っていたシュートを思い出し、初めて投げたところ、6球すべてがビシッと決まったという驚きの結果。3年目には14勝で初の2桁勝利を挙げると、翌年25勝、翌々年には17勝で3年連続最多勝利のタイトルにも輝いたのだった。
過去、すれ違った僅かな「点」を逃さず具現化した平松氏の天才的な感性を知る、興味深い話が拝聴できた。(ユーチューブライター・所ひで)