振り返れば、これほどの長寿番組の「いいとも!」も、放送開始直後は観客が集まらず苦労したという。番組スタッフが明かす。
「収録会場の新宿アルタ前での呼び込みはもちろん、顔写真付きの『笑っていいとも免許証』を作って配っていた。フリーパスのように何度でも優先的に入場できる券で席が余るのを防いでいたんです」
そもそも「いいとも!」が、企画段階から難航していたのは有名な話だ。
「敏腕プロデューサーの横澤彪さん(享年73)が以前語っていましたが、当時はまだ『夜の芸人』というポジションだったタモリの起用だけに、『あのサングラスが昼間の主婦層に反感を買わないか』と難色を示すスタッフがほとんどで、賛成するのは局内でもわずか4人ほどだったそうです」(前出・スポーツ紙デスク)
当時は、タモリ自身も、昼の番組には興味がなく、「3カ月でやめる」と話していたという。
芸能評論家の肥留間正明氏が振り返る。
「タモリにとって昼の帯番組の司会者を受けるということは、フジテレビに就職するぐらいの気持ちだったと思います。裏を返せば、『いいとも!』の司会者を務めるということは、芸人をやめ、サラリーマンになったようなものなんです。今回の番組終了は、サラリーマンになったタモリが、無事に32年間を勤め上げ、課長ぐらいで定年を迎えたという感じでしょう」
その“一社員”が会社に守ってもらった、みずからの過失が招いた放送事故級ハプニングもあった。それが、番組開始から約10年後に起きた、「幼児を罵倒、完全二日酔い事件」(92年2月28日)である。本誌でも詳しく報じて、反響を呼んだものだった。
コトの経緯を振り返ると、前日に朝の7時まで都内のゲイバーで飲み明かしたタモリは、二日酔いのままスタジオ入り。テレフォンコーナーではゲストの音楽家・喜多郎(60)が大人の対応だったため、グダグダの会話も何とかクリア。
だが、次のコーナー「26才には見えないコンテスト」で、事件は勃発した。4人の子連れ組に対して、
「オレは子供がキライなんだ!」
「気に入らねえな、この野郎!」
と、暴言を吐いたばかりか、あろうことか幼児の頬をつねり、頭を小突いたのである。あまりのしつこさに審査員席の林家正蔵(50)=当時はこぶ平=が飛び出して制止したほどだった。
「さすがに視聴者にも単なる“幼児虐待ギャグ”とは受け取られず、読売新聞の投書欄に『許しがたい態度』と21通もの抗議文が寄せられた。フジがスポンサー対応をし、かろうじて事なきを得ました。今回の番組終了宣言の中で、『32年間、フジテレビが守ってくれた。感謝しても感謝しきれない』と挨拶した裏にはこの事件のこともあったはずです」(前出・デスク)
何しろ当時の取材に対し、タモリのマネジャーも、「シャレがシャレでなくなった」と語るほどの暴走劇だったのだ。