2002年、原辰徳氏が監督に就任した1年目、巨人はセ・リーグ優勝のみならず、日本一にも輝いたのをご記憶にあるだろうか?ところが、翌年の03年には3位に転落して原監督は突如辞任。記者会見で「青天の霹靂」と複雑な心境を口にした堀内恒夫氏が新監督に就任となり、世間を驚かせたものだ。
一方、この年にセ・リーグを制したのは、故・星野仙一監督率いる阪神タイガースだった。前年には4位と屈辱を味わいながらも、目覚ましい躍進だったわけだが、これは星野監督の前年からの戦術が功を奏したのではないかと推論する番組があった。
元プロ野球選手、清原和博氏のYouTubeチャンネル〈清ちゃんスポーツ〉に、西武ライオンズ時代には選手として、また監督としても清原氏と信頼を培った東尾修氏が出演。清原氏は被死球数歴代1位の「196」、東尾氏は与死球数歴代1位の「165」であることから、2月20日に〈日本一のデットボール対談?凄すぎる西武野球の秘密〉とタイトルをつけて投稿されたのだが、清原氏の資料・分析によれば、03年の阪神優勝には死球数も関係していたように思えるのだ。
資料の中身を紹介すると、02年、巨人が阪神に与えた死球数「8」に対して、阪神が巨人に与えた死球数は「17」。そして03年、巨人が阪神に与えた死球数「7」に対して、阪神が巨人に与えた死球数は「15」と、いわば2年連続”倍返し”となっており、阪神戦において、巨人ナインは萎縮したのではないかと清原氏が推論を展開したのだった。
故意に当てに行くことは褒められたことではないが、攻めに行った結果の死球であれば、それも戦術の1つかもしれず、またそれが無ければ、あの「青天の霹靂交代劇」も生まれなかったのかもしれないことをしみじみ考えさせられた興味深い回となった。
(ユーチューブライター・所ひで)