名選手でもあったが、まさに「名将」と言うべき人物が、故・野村克也監督だ。1990年にヤクルトスワローズの監督に就任すると、1年目こそ5位に甘んじたものの、2年目に3位でAクラス入りし、3年目にはリーグ制覇、そして4年目には日本一に導き、ヤクルトでの9年間の監督生活で日本一に3度輝く活躍ぶりだった。
そんな野村監督のヤクルトでの教え子の1人で、ゴールデングラブ賞を10度受賞し、通算2133安打で名球会入りも果たした宮本慎也氏が、元フジテレビアナウンサーのフリーアナ・田中大貴のYouTubeチャンネル〈田中大貴のアスリートチャンネル【アスチャン!】〉に出演。98年のシーズンを最後に野村監督が去った後のヤクルトはサッパリ…あまりの存在感からそんな印象を受けるのだが、若松勉新監督のもと、日本一を奪取した2001年を振り返り、「オレ、野村監督にちょっと認められたんだ」と口元をほころばせるエピソードを明かした。
4月2日に〈【プロ野球】野村克也&権藤博 名将秘話!野村監督からの言葉とは!?〉と題して公開した投稿回を観てみると、現役時代、野村監督には怒られてばかりだったと口にする宮本氏。しかし、01年の日本一を獲った時には、野村監督が残したとされる新聞紙上のコメントに『真ん中の古田が、宮本が…幹ができて、枝葉をはって、ヤクルトは強くなったんだ』とあったそうだ。宮本氏は、「ボクの名前が入ってたんですよ。俺、監督に認められたんだ…っていうのが嬉しかった」と怒られてばかりで認められているとは露ほども思わなかっただけに感激ひとしおだったと振り返ったのだった。
ちなみに、この01年以降、ヤクルトは日本一から遠ざかっている。ここは、野村監督の教え子たちに、監督、コーチとしてヤクルトに加わってもらい、今後優勝を目指せるチームに成長してもらいたいところだが、はたして…。
(ユーチューブライター・所ひで)