元プロ野球選手・鈴木健氏といえば、浦和学院高校時代には、1986年、87年の全国選手権に連続出場し、高校通算83本塁打は、清原和博氏の64本をも凌ぐ、当時の日本最多記録であった。
87年のドラフト会議で1位指名を受けて西武ライオンズに入団。95年からは5年連続で3ケタ安打を放つなどの活躍を見せたが、2002年に転機が訪れた。伊原春樹氏が新監督に就任し、シーズン終了後にはヤクルトスワローズに金銭トレードとなったのだ。
そんな鈴木氏が、元プロ野球選手・大久保博元氏のYouTubeチャンネル〈デーブ大久保チャンネル〉に出演。02年の開幕戦では2安打の活躍を見せるも、翌日の試合ではベンチスタートなど、伊原監督とのソリが合わなかったのであろう胸の内を告白するも、“ヤクルトに移籍できて感謝”だったと明かしている。
5月8日付けの〈第五話 金銭トレードの真相(後半)〉とのタイトルで公開された投稿回でのことだが、鈴木氏は、「セ・リーグに行かしてもらって、セ・リーグの野球も見れたし、いい思いをさせてもらったっていうのも、ずっとライオンズにいたら多分味わえなかっただろうし」と振り返った。巨人戦は地上波で放送されていた時代。西武で4番を打っている時よりも知名度は上がったとも口にしており、それが発奮材料になったのか、03年は鈴木氏にとってプロ野球人生最高の153安打を放ち、打率は「.317」の大活躍で、カムバック賞を受賞した。
この動画の中では、鈴木氏のヤクルト移籍の口利きをしたのは、01年まで西武で監督を務めた東尾修氏であったことも明かされている。前年まで監督を務めた東尾氏の「温情」が鈴木氏のカムバック賞を呼び込んだのであろう。感動的な話が拝聴できた。
(ユーチューブライター・所ひで)