80年代に一時代を築いた男性アイドルグループ・シブがき隊。全局の音楽番組に出たと話すメンバーのフックンこと布川敏和(55)が「あの事件」を振り返る。
──当時は全局に音楽番組があり、それもほとんどが生放送。事件が起こりやすい土壌がありましたね。
布川 生放送の緊張感がいちばん強烈だったのが「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ系)でしたね。だってさ、2日前に初めて聞いたばかりの新曲を、リハもなしに歌わされるんですよ。
──「歌わされる」って(笑)。
布川 いや、本当にそう。ビビりまくりで、俺はヤックン(薬丸裕英)やモックン(本木雅弘)と違ってけっこうミスをしていましたからね。
──数年前、男性アイドル歌手の口パクが取り沙汰されたこともありますが、シブがき隊は口パクせず?
布川 俺らは生バンドがバックだから、口パクでごまかせないんですよ。だから「シブがき隊は歌が下手」と言われてたんですけどね。ほかにも生放送の事故といえば、みんな知っていると思うけど、紅白かな。
──85年放送の紅白歌合戦での一幕でしょうか。
布川 あの頃、吉川晃司と仲が良くて、よく六本木で遊んでいたんですよ。で、晃司と2人で「今度の紅白、誰もやらないことをやっちまおうぜ」と作戦を立てたんです。「俺はステージから落ちるから、晃司も何かやれよ」と言ったら‥‥。
──炎上した、と。
布川 まず登場時に口に含んだシャンパンをぶちまけて。歌が終わり、次の河合奈保子さんのイントロが始まっているのにギターを鳴らして、あげくジッポのオイルでギターを燃やしたんです。俺たちは河合さんの次で、オイルのせいで転びそうになるのを踏ん張って踊りましたが、俺は「これは使えるぞ」と、わざと2回、大げさに転びました。
──作戦は大成功だったようですが、吉川さんはその後、大変だったのでは。
布川 もちろん怒られて、しばらくNHKを出禁になりました。でも年齢を重ねて白髪になって、NHKのドラマに呼ばれるようになるんだから、まぁ、大したことじゃなかったんですよ。河合さんに対してと、消防法的にはNGですけどね。
──NHKといえば「レッツゴーヤング」にも頻繁に出ていました。
布川 観覧ありで、ファンの熱狂もすごかった番組です。82年組は女性アイドルが豊富で、男は10組中俺たちだけなんてザラ。そんな中、キョンキョン(小泉今日子)も明菜(中森明菜)も伊代ちゃん(松本伊代)も、親衛隊は全員、暴走族なんです。最初の頃は、彼らに敵対心を持たれて、「シブがきコノヤロー!」なんて罵声が飛んで。
──シブがき隊への黄色い声援に混じって、怒声も電波に乗っていたんですね。
布川 だから俺たちは考えたんですよ。親衛隊のリーダーと仲良くなってやろうと。収録の合間に舞台裏で「○○さん! どうも!」なんて名前を覚えて挨拶して。すると徐々に仲間だと思ってくれて、俺らのことも応援してくれるようになりました。おかげで「ザ・トップテン」(日本テレビ系)でも「フックン!」という野太い声が飛び、励みになりましたね。
その「トップテン」では生放送で着替え時間に焦ったモックンが、ハカマの片側に両方の脚を入れてしまい、タイトスカート状態で踊ったことも。後日、視聴者ハガキで気づいて、VTRを見て爆笑しましたよ。
──司会の堺正章さんとは親交が深かったとか。
布川 元アイドルから司会者に転身した先駆けですよね。のちにヤックンや東山くん(東山紀之)が続きますが、儲かるんですよ(笑)。東山くんといえば、最近マッチさん(近藤真彦)が退所したことを番組で報じていたけど、マッチさんのたのきんトリオがいたからこそ、俺らシブがき隊も東山くんの少年隊も誕生したんですよね。その恩義は一生、忘れちゃならないと思っています。