日本の暮れの歌謡風物詩は、紅白歌合戦と日本レコード大賞が鉄板。今なお高視聴率を誇る番組に、衝撃のアクシデントが存在した。
「日本レコード大賞最優秀新人賞は──『恵比寿』を歌った真田ナオキ!」
吉幾三の弟子である真田ナオキ(31)が見事栄誉に輝いた瞬間、後ろにいたアイドルグループ「豆柴の大群」のミユキエンジェル(20)が大げさに飛び上がり、そのまま転倒。ほかのメンバーに抱えられて退場する不可解な行動を見せたのは、昨年12月30日のことである。
司会の安住紳一郎アナは、しばらくたって事情を説明。
「別の番組の密着で、そういう演出の芝居だそうです」
ただ、権威あるレコ大の新人賞発表の瞬間だっただけに、批判は飛び交った。日刊スポーツ紙では「新人賞ぶち壊した愚行」と厳しい筆致となり、ネット上ではグループの生みの親である「安田大サーカス」のクロちゃんに「お前の仕掛けか?」と非難の声が噴出した。
紅白歌合戦も例外ではない。毎年のようにハプニングが飛び出す有様で、日本歌手協会理事長で、紅白関連の著書も多い合田道人氏が解説する。
「同じように番組中に『先ほどのは裸ではなく、そういう衣装です』と断りを入れたのが、06年の裸スーツ騒動でした」
氣志團の綾小路翔(45)が扮した「DJ OZMA」は、華麗なバックダンサーを従えて歌う。ダンサーたちは裸体の描かれたボディスーツを着ていたが、視聴者からは「あれは裸?」と問い合わせが殺到。そしてNHKアナによる事情説明になったというのだ。
「ただ、会場にいる人たちはスーツだとわかっているので、なぜそんな説明が入るのかと、むしろ笑い声さえ起きていました」(合田氏)
紅白の歴史では、引退する都はるみ(73)に対し生方恵一アナが「ミソラ」と言い間違えたり、加山雄三が少年隊の「仮面舞踏会」を「仮面ライダー」と紹介したことなどが有名。
それだけではなかった。合田氏が続ける。
「70年に11回目の出場だった橋幸夫(78)は、新曲を歌うはずが、司会の宮田輝アナが『いつでも夢を』を歌えと鶴の一声。僕も見せてもらった台本には新曲が書かれていて、本当に土壇場で歌を変更させたんです」
ベテランの菅原洋一(87)が86年に「小雨降る径」で出場した時は、マイクがまったく機能しない状態。それでも菅原は、審査員席に向かってアカペラ状態で熱唱を続け、マイクがオンになった時には会場から万雷の拍手が寄せられた。
「途中でスタッフの『入っていない!』の怒声がオンエアされていました。その後、菅原は音声だけ録り直しをして、完全な形のものがアーカイブスでは使われています」(合田氏)
紅白の風物詩だった小林幸子(67)の豪華衣装は、スケールが大きくなるにつれて、事故も発生。92年には「恋蛍」の曲名にちなみ、6万200個の電飾を仕込んだが、本番で点灯したのは2万個のみ。小林は楽屋で号泣したが、転んでもタダでは起きない。
「NHKの『歌謡コンサート』に、同じ衣装で『リベンジです』と臨んで、ちゃんと成功させました」(合田氏)
13年の紅白は、御大・北島三郎の勇退が目玉だったが、それを台無しにしたのがAKB48の大島優子(32)。ステージ上で突然、卒業を発表し、御大のインパクトを奪ったとして批判が渦巻いた。
17年は、欅坂46が「不協和音」を披露したが、内村光良との共演で2度目の歌唱となった時に事件は起こる。センターの平手友梨奈(19)ら3人が過呼吸でバタバタと倒れたのだ。
演出だったのか、純粋な事故だったのか、今も真相は藪の中だ。