〈泰然自若〉という言葉は、30年以上にわたって「いいとも!」を継続してきたタモリのためにある。膨大な生放送のストックには、あわや大惨事になりかねない瞬間もあった。それでも「サングラスの奥の瞳」は微動だにせず、次のコーナーへ穏やかに移行する。それは、日本で唯一にして絶後のスタイルであった──。
「寝坊しました、すいません!」
血相を変えて飛び込んできたのは、9代目の「いいとも青年隊」に選ばれた「あさりど」の堀口文宏である。正午からの「笑っていいとも!」の生放送に間に合わせるため、通常はスタジオアルタに9時30分に入る。ところが、その日は本番ギリギリに到着──。
「タモリさんに謝りに行ったら『反省なんかしなくていいよ』って言うんです。『番組に毎日出ているのは、俺とお前たちコンビとの3人だけ。いちいち反省していたら持たないよ』って言われました」
遅刻は厳禁という芸能界にあって、タモリの考えはカルチャーショックであった。また相方の川本成は、何気ない場面にタモリの気遣いを知る。それは「テレフォンショッキング」のコーナーに勝新太郎が出演した日のこと。
「勝新さんが『レストランで食いきれなくて“テイクオフ”してもらって』と言っちゃったんです。僕が思わず『テイクオフだと離陸じゃないですか』ってつぶやいて、よく考えたら大物相手に冷や汗ものの発言。そしたらタモリさんが『そうだよな、“テイクアウト”だよな!』って拾ってくれて、助かりました」
現在まで16代と続く「青年隊」だが、タモリが最も印象に残るという話もあるのが「あさりど」の2人である。萩本欽一主宰「欽ちゃん劇団」の2人がコンビを組み、94年10月から2年半にわたって番組レギュラーを務めた。
その中において、スタッフからの絶対条件は「毎日タモリさんの肩を揉んでもらうこと」だったと堀口が言う。
「10時半にタモリさんがスタジオに入ると、まず10種類ほどのガムから1つを選ぶ。そしてひな壇の1番前でリハーサルを見ているんですが、その間、僕らは肩を揉んでいます」
2人が萩本の門下生と知ると、タモリはこんなことを口にした。
「昔、世田谷に住んでいた頃、俺と萩本さんとキャンディーズのミキちゃんがすぐ近くだったんだよ。同じ場所に3人それぞれのタクシーが並んでいたこともあったね」
まだコンビ結成から1年も経っていない2人は、大将の萩本からこんなアドバイスを受けていた。
「大人がいっぱい働いている世界だから失礼のないように。ズケズケすると嫌われちゃうよ」
両巨頭は人との距離感など、どこかしら似た考えに思えた。
やがてレギュラーとしてなじんでいった「あさりど」は、目黒の「タモリ御殿」を訪問する。当時の月曜レギュラーである関根勤や森脇健児、森口博子らとともに招待されたのだ。
そこで見た料理人ぶりは、うわさ以上だと川本は思った。
「タモリさんはずっと厨房にいて、僕らはテラスで高級な肉をいただいてのバーベキュー。さすがに気が引けるんですが、レシピがすべて頭に入っているタモリさんからは『手伝うな』と厳命されています。さらにいただいたごはんとお味噌汁と漬け物が感動するくらいおいしかった」
そんな穏やかなホームパーティと対をなす「いいとも事件簿」が次々と起こるのだ‥‥。