テリー じゃあ、その後は後悔したでしょう。「とんでもないこと言っちゃった」って。
原田 いや、後悔はしなかったですね。後悔すれば、「すみません近藤さん、あんなこと言いましたけど、もう1回やらせてください」って言えたんだろうけど、なんか山口県人って意地張るんですよ。
テリー そんなの山口県人って関係あるかなぁ(笑)。でも、みんながやめるって知ってる中、今度は殉職の回(33話)で戻るわけですよね。その時の現場の空気はどうだったんですか。
原田 それは、みんなプロですから普通でしたよ。僕が空気を読めなかっただけかもしれないけど(笑)。だから、殉職のシーンは僕がピストルを握ったまま、相手のピストルでダンダンダンって撃たれて、ズーンって倒れるんですけど、それも「こんなのはどうだろう」って僕が出したアイデアなんですよ。で、「じゃあ、やってみよう」ということになって。当時は、みんなものを作ることに常に燃えてましたからね。
テリー 例えば丹波(哲郎)さんにはなんて言われたんですか。
原田 丹波さんは、「わがままでお先にやめさせてもらいます」って言ったら、「あぁ、そうか、残念だな」って。僕、実は撮影が始まる前から、あるスタッフに「丹波さんに会ったら、原田さんにそっくりでビックリするよ」って言われてたんですよ。
テリー そっくりって?
原田 性格が。そしたら初めて会った時、丹波さんが右手を上げながら「よう、よう、よう」って現れて。見た瞬間に「確かに俺だ」って(笑)。
テリー アハハハ。
原田 だから、それから僕は自分のことを「小丹波」って言ってたの。そのぐらい可愛がってもらってましたよね、丹波さんには。
テリー 他の人は?
原田 どうだったかなぁ。夏木(陽介)さんはその前に何本も共演していて、気の短い人だって知ってたから、「夏っちゃんすみません、お先にやめさせてもらいます」って言ったら「アハハハ」って笑ってましたけどね。まぁ、でも今考えると、Gメンは僕の青春でしたよね。
テリー 今見ると当時のことを思い出します?
原田 そうですね。ほんとにみんな仲間だったし。青春ってすごいよね。僕はその時31歳だったけど、60ぐらいのおじさんたちも必死で、やっぱり青春してましたから。ほんとに青春に年齢は関係ないんだっていう。森繁(久彌)さんなんかも「生涯青春だぞ」って言ってましたけどね。
テリー その青春時代、原田さんはどのくらいモテたんですか。
原田 デビューした時はすでに結婚してましたからね。
テリー まぁ、そういう建前はこっちに置いといて。
原田 アハハハ、それがそういうわけにはいかないんですよ。女房も「アサヒ芸能」のファンだから(笑)。
テリー あぁ。言ったら、これ読まれちゃうってこと?
原田 うん。
テリー そうか(笑)。でも、見られちゃマズいってことは、多少そういうこともあったんですね。
原田 うん、まぁ。
テリー 急に声が小さくなりましたけども。
原田 もう少しで離婚されるようなところまでいったことはありますよ、僕の不始末で。でもね、近藤さんも丹波さんもお亡くなりになられて、ようやく「Gメン’75」を降りた顛末を、少ししゃべれるようになったわけですよね。でも、うちの奥さんはまだまだ元気だから。なかなかしゃべれませんよ(笑)。