中日ドラゴンズで活躍した元プロ野球選手、山本昌氏。通算219勝で名球会入りした実績もさることながら、2006年にはNPB史上最年長となる41歳でのノーヒットノーランを達成し、15年にはNPB、史上初となる50代を迎えてマウンドに上がっており、「中年の星」とも称されたレジェンドである。
そんな山本昌氏だが、本名は「山本昌広」である。では、なぜ“改名”に至ったのか。それが明かされる「番組」があった。東海テレビのYouTubeチャンネル〈【東海テレビ公式】ドラHOTpress〉の、6月7日付けで〈山本昌&山崎武司プロ野球やまやま話「地方球場あるある」〉と題して公開された投稿回を観ると、1996年のオープン戦に話は遡るようだ。
それまでチームメイトに山本保司氏がいたことから、球場では、「山本昌広」、「山本保司」とそれぞれフルネームでコールされていたのだが、山本保司氏が95年に千葉ロッテマリーンズに移籍したことから、「山本」は1人になったということで、愛知県豊橋市に位置する豊橋市民球場での96年オープン戦で、「ピッチャー、山本」とコールされた。すると「山本って誰?…ああ。山本昌か!」といったファンの戸惑ったような声が。それを聞き、山本は、「“山本”って(言われても)みんな知らないんですけど…」と、球団に相談。94年には「鈴木一朗」から「イチロー」に登録名が変更された経緯もあり、晴れて「山本昌」に登録名変更になったのだそうだ。
イチロー氏は、ほぼ無名の頃の変更だが、山本昌氏は93年、94年と2年連続で最多勝のタイトルを獲得した後の変更だ。さぞや勇気のいる”改名”だったのではないかとも推測されるが、ファンの声に耳を傾け、即座にピンと来た山本昌氏の鋭い直観にも恐れ入る回だった。
(ユーチューブライター・所ひで)