ファミリーから3人の逮捕者が出た徳洲会グループによる公職選挙法違反事件。事件の中心にいるのはグループの前理事長・徳田虎雄氏と見られている。絶大な権力ゆえ、これまで触れることもできなかった徳洲会のトップはどれほどの権勢を振るってきたのか──その全てを書き尽くす!
「現ナマには現ナマを! ピストルにはピストルを!」
01年、第19回参議院選挙で当時、自由連合の代表だった徳田虎雄氏(75)は選挙期間中、こう檄を飛ばしたという。赤穂浪士にちなんで47人の候補者を立てたものの、結果は当選者ゼロの大惨敗。その時、自由連合から立候補し、現在も虎雄氏と交流のある作家・中平まみ氏はこう証言する。
「虎雄は、相手陣営がカネをまくならこちらもばらまき、銃撃をしてきたらこちらも銃撃するという姿勢でした。選挙後に都内のホテルに候補者を集めて催した慰労会の席上で、『1人の自殺者も出さずに選挙戦を終えたことは喜ばしい』と演説したので、過去には死んだ人がいたのかと思いました」
虎雄氏は、鹿児島県奄美群島にある徳之島の出身である。幼い頃に実弟が医療を受けられず急死したことで、医師を志す。父親が農地を切り売りしながら学費を捻出、苦学して大阪大学医学部を卒業する。そして──、
「失敗したら自殺してその保険金で返す!」
73年、こう銀行を説き伏せカネを借り、大阪に徳洲会病院を設立した。虎雄氏は、「生命だけは平等だ!」をモットーに、救急患者の24時間受け入れや、患者からの贈答品受け取り禁止を実施。患者が主役の病院運営で医療界に革命を起こしたのだ。
医は仁術を地で行っていた虎雄氏が、なぜ「札束」を前面に出してまで政治に執念を燃やしたのか。政治評論家の本澤二郎氏が解説する。
「現在、徳洲会グループは全国に66もの病院を持っています。当初から虎雄氏の掲げた理念は、日本医師会からニラまれました。カネと票を持っている医師会は政権与党である自民党と蜜月の関係でしたから、病院設立の許可が下りなかったのです。そこで、彼は日本医師会と戦うために政治力を望むようになった」
83年、虎雄氏はみずからの出身地である奄美群島選挙区から出馬する。対立候補は、自民党の保岡興治氏だった。ベテランの政治部記者が振り返る。
「父親から地盤を引き継いだ保岡氏は圧倒的優勢でした。『保徳戦争』と呼ばれた選挙は裏金で票を買う実弾戦となり、両陣営から選挙違反での逮捕者が続出しました」
当時、飛行機で島に降り立つ徳田虎雄氏と一緒に運びだされる大量のジュラルミンケースは、選挙の風物詩になっていたほど。もちろん中身は「札束」という実弾だった。地元住民たちは、選挙が始まるとこうささやいていたという。
「選挙は第4次産業だ」
そして90年、虎雄氏はついに衆議院議員に当選する。永田町も巻き込んだ、日本医師会との血みどろの戦いの中で「裏金帝王」へと変貌していったのだ。
◆アサヒ芸能12/10発売(12/19号)より