今なお視聴者の記憶に生き続ける「スチュワーデス物語」(83~84年、TBS系)。主演の堀ちえみをはじめとする若手女優が多く出演したが、主要キャストとしてミステリアスな異彩を放った高樹澪(61)が、「あの頃」を回想する。
デビューは異色そのものだった。銀行員を辞め、芸能界の裏方を目指すべくスタッフとして入社した事務所に「ちょっと行ってきて」と言われたのが、映画「モーニング・ムーンは粗雑に」(81年、アミューズシネマ)のオーデション。いきなりヒロインに抜擢されたのだ。
「有名な女優さんやモデルさんの美しさに圧倒される中、私だけTシャツにジーパン姿。最後の演技審査で『おまえはヤル気があるのか!』と檄を飛ばされ『は、はい‥‥』と返すと、合格しました」
内に秘めた度胸と都会的な美貌を武器に、またたく間に芸能界の第一線に躍り出る。翌年には井上陽水の楽曲で石川セリが歌った「ダンスはうまく踊れない」をカバー。22歳とは思えぬ陰のある妖艶な表現力で、売り上げ80万枚の大ヒット曲へと押し上げた。
「当時の私のイメージって『大人っぽい』とか『ポーカーフェイス』だと思うんですが、これは事務所の戦略でした。笑うとエクボができるし、しゃべるとどっちらけちゃうので(笑)。『口を開くのは挨拶の時だけ』とお達しがあったんです。だから周りから『声をかけてもツンとされそう』と思われていたのかも」
そして83年、「スチュワーデス物語」に、同世代アイドル女優の中でも長女的役割を担うキャラクターで出演。「笑わない」などとは言っていられぬ愛憎セリフが飛び交う現場は、過酷そのものだったという。
「ロケ地の成田空港は土日しか撮影ができず、オンエアギリギリで撮影していました。私は金曜夜に『11PM』(日本テレビ系)の放送後、寝ずに成田へ直行。他の仕事もあり、平均睡眠時間は3時間。過労のゆえか盲腸になると、伝染したように出演者が次々と盲腸になったのは驚きました。ついには堀さんも盲腸になり、過密スケジュールのため、術後数日で現場復帰していましたね」
海難訓練シーンの撮影日、術後にもかかわらず沼津の海に飛び込み、ど根性を見せつけたのだった。
さらに強烈に焼きついているのが、数々のヒット作を世に送り出し、大映黄金期を築いた名プロデューサー・野添和子氏の存在。名セリフ「ドジでノロマな亀」も彼女から生まれ、通称「女・黒澤明」と呼ばれていたが──。
「野添さんが現場にいるだけで緊張感が走り、みんなが背筋を伸ばしました。今でも忘れられない伝説の一言があります。冬に夏のシーンを撮影中、どうしても雪をかぶった山が映ってしまうんですが‥‥」
野添氏は叫んだ。
「誰かー、あそこの山の雪、取ってきてー」
他愛もなく言うところが「女・黒澤」たる所以だろう。
着実に女優としての実績を積み、90年に人気作「HOTEL」(TBS系)にレギュラー出演。原作者・石ノ森章太郎の長男で、共演者の小野寺丈とは今でも連絡を取り合う。
「よく一緒に舞台や映画に出ています。公開は少し先ですが、才能あふれる若手監督の映画作品にも2人で出演予定です。歌? 練習しなきゃって感じですが(笑)、また歌いたいから、そのための環境づくりをしていきたいですね」