●ゲスト:ダンカン(だんかん) 1959 年、埼玉県生まれ。立川流の落語家「立川談かん」として活動した後、83年「たけし軍団」入り。芸人のほか、放送作家としても活躍。98年の映画「生きない」で脚本・主演を担当、05年の映画「七人の弔」では監督・脚本を務めた。現在は「株式会社TAP」の専務取締役。YouTubeチャンネル「ダンカンYouTublog」開設中。著書「ダンカンの企画書」(スモール出版)発売中。
芸人、放送作家、俳優、脚本家、映画監督と各方面でマルチに活躍するダンカン。ご存知、2人は「天才たけしの元気が出るテレビ!」以来の盟友だ。そんなダンカンから提出された30年ぶりの企画書を見て、天才テリーの脳が活性化! こっそりと「元テレ」会議がスタート!?
テリー お孫さんが生まれたんだね。
ダンカン 生まれましたね。
テリー でも、ダンカンってまだ若いでしょう?
ダンカン もう62歳ですよ。
テリー 長女夫婦のところのお子さん?
ダンカン そうですね。
テリー いくつの時の子供だったの?
ダンカン いくつだろう。29歳ぐらいですか。
テリー ダンカンは誰と結婚したの?
ダンカン 結婚式に来たじゃないですか(笑)。その時、まだよちよち歩きで2歳ぐらいだった長女もいたんですよ。で、テリーさん、長女を持ち上げて、「めでたい!」って投げようとしたんです。
テリー あ、そう。覚えてないなぁ(笑)。ダンカンは結婚する時、「お父さんをください」って言ったんだよな。
ダンカン そうそう。
テリー いつもダンカンの話をする時は、その話をして、「あんなヤツはいない」って言ってるんだけど。じゃあ、その娘さんにお子さんができて。
ダンカン はい。32歳になって。
テリー 孫ができると何か気持ち的に変わるもの?
ダンカン いや、全然変わらないですね。孫が生まれたのは7月27日だったんですけど、その日はソフトボールが金メダルを獲った日だったんですよ。
テリー いい日だね。
ダンカン 優勝を決めたのは横浜スタジアムだったんですけど、上野(由岐子)選手が再起を誓ったのが福島県のあづま球場だっていうドキュメンタリーもやってたりして、あづま球場はいわば原点みたいな場所なんですね。で、うちは長男が「甲子園」っていう名前ですから。
テリー ダンカンは阪神の熱狂的なファンだからね。
ダンカン だったら初孫の名前は「福島あづま球場でどうだろう」って、娘に言ったんですけど、何も言わなかったですね。「福島って東北でマイナーだから嫌なのかな」と思って、福島を外して、「あづま球場でどうだろう」って言ったんですけど、それも受け入れてもらえず。
テリー なんて名前になったの?
ダンカン 俐音(りおん)です。
テリー それは誰がつけたの?
ダンカン わかんないですけど、娘夫婦じゃないですかね。
テリー 相手にしてくれないんだ。
ダンカン だって寝てる赤ん坊の上でクルクル回る、オルゴールみたいなオモチャがあるじゃないですか、ベッドメリーっていう。
テリー うん、あるね。
ダンカン あれのいちばん高いのを買ったんですよ。孫にとって初めてのオモチャですよ。で、何日かして、「喜んでくれてる?」って聞いたら、「すごい喜んでる」って言うから「やったー!」と。おじいちゃんとしてはうれしいなと思ったら、「飼ってる犬がすごく喜んでる」って(笑)。犬がそれをクルクル追いかけ回してね、子供はまったく見てないみたいです。