テリー 歌手デビューは17歳ですよね。
三沢 そうですね。14歳で東映のニューフェイスに合格して。応募条件は16歳からだったんですけど、14歳の時に「16歳」って書いて合格しました。
テリー 最初は役者志望だったんですか。
三沢 いえ、最初から歌手になりたくて、小さい時からいろんな歌の先生のレッスンに通っていました。
テリー じゃあ、最初はちょっと不本意というか。
三沢 でも、東映ではほんとにいい勉強をさせていただきました。当時は大人でもない、子供でもない中途半端な年齢で、私がやれる役がなかったんですよ。それで、当時の東映にはたくさんのスターの方々がいらして、例えば映画館のこけら落としとか、映画の新作発表とかの場に呼ばれて、ご挨拶をするんですね。そこに私もくっついて行って、前歌を歌わせてもらったんですよ。
テリー へぇ。前座みたいなものですね。その頃って、どんな歌を歌うんですか。
三沢 島倉千代子さんとか、花村菊江さんとか。で、みんな私を新人の女優さんだと思ってるから、歌い始めると「あれっ、上手」って、すごい拍手が来るんですよ。舞台袖で出番を待ってるスターの皆さんも、それを見て「あの子はいったい誰?」って盛り上がってくださって。それでビクターを紹介していただくことになるんです。
テリー やっと念願が叶うんですね。それでマヒナスターズさんとの「ふられ上手ほれ上手」でデビューすることになるんですか。
三沢 私は17歳という年齢なりに一生懸命歌ったんですけど、なんか「お色気がありすぎる」って言われて、放送禁止になってしまって。
テリー ええっ!?
三沢 北島三郎さんの「ブンガチャ節」ですか。あの歌が放送禁止になった次の年だったんですけど。
テリー 何がダメだったんですか。
三沢 いまだによくわからないんです。「咲いた咲いた つぼみが咲いた られた折られた散らされた」ってところがダメだって言われて。なんかマヒナが歌うところはOKだったんですけど、私が歌うところだけダメだったんです。当時のおじさま族には、そういう歌詞を若い子が一生懸命歌ってるのがダメだったみたいですね。
テリー 今じゃ考えられないですね。
三沢 ねぇ。でも、それが逆に話題になって、すごくレコードも売れたんですよ。
テリー それで2曲目が三沢さんの代表曲になる「島のブルース」。
三沢 当時、ちょうど島ブームで、恩師の渡久地政信先生がこの曲をお作りになったんですね。本当はマヒナスターズと松尾和子さんが歌う予定だったみたいなんですけど、「ちょうど放送禁止になって、ピッタリの歌い手がいるから」って、1週間ぐらい前に急きょ歌わせていただくことが決まったんです。
テリー じゃあ、放送禁止がなかったら、これを歌うこともなかった。
三沢 ですねぇ。スタジオへ入ったら、急に先生がピーピーって笛を鳴らし出して、マヒナのみんなと「なんだこれは」ってビックリして(笑)。でも、レコードを買いに行く方が、お店で「あのピーピーっていう笛の音の曲をください」って言っていただくぐらい、笛が印象に強く残る曲になりました。
テリー そうですよね。
三沢 で、その年にレコード大賞最優秀新人賞をいただいて、紅白にも5年連続で出場させていただいたり。それが2曲目ですから、すごくラッキーだったと思います。