主にヤクルトスワローズで活躍した元プロ野球選手・川崎憲次郎氏と言えば1988年ドラフト1位でヤクルト入団。90年から先発ローテーションに加わり、12勝、14勝と2年連続で2ケタ勝利を挙げ、順調に勝ち星を紡いでいったが、92年は故障から1軍登録はなく、また、96年は5試合に登板して0勝に終わるといった辛いシーズンも過ごした。
その川崎氏が、復活のノロシをあげたのは、98年。17勝で初の最多勝に輝き、沢村栄治賞まで受賞している。その理由には、当時の野村克也監督(故人)の助言があったようだ。
川崎氏が出演した、元西武ライオンズ・石毛宏典氏のYouTubeチャンネル〈石毛宏典TV〉の2月24日付け投稿回でそんなエピソードが明かされた。動画によると、川崎氏の記憶では、94年か95年あたりに、「シュートを投げろ!」と野村監督から助言があったそうが、ストレートで圧倒することに美学を感じていた川崎氏はその言葉を“無視”。しかし、完璧だと思ったストレートをバットに当てられ、「あれ、おかしい…」と違和感を覚えたその時、野村監督の言葉がふとよみがえったようで、97年からシュートを覚え、98年に繋がったのだそうだ。
シュートと言えば、巨人、中日で活躍した西本聖氏の大きく曲がるシュートをイメージするが、川崎氏は肘の負担も考慮して「曲げないシュート」を意識。10cmほどしか曲がらなかったそうだが、石毛氏は「バッターから言わせてもらえれば凄い厄介で、10mでも5cmでも芯が外れるわけだから、それで詰まったり、打ち取られたり…」と打者の立場を解説。
こんなラクなボールは無いと思ったと同時に、急に球種を変えることの恐怖も説いた川崎氏だが、「もっと早くオレの言うこと聞いてれば…」と言って天国で苦笑いする野村監督の顔が浮かんできそうな秘話であった。
(ユーチューブライター・所ひで)