ダチョウ倶楽部で人気を博した上島竜兵さんが、5月11日未明に突然亡くなったことが発表された。享年61。自死とみられるが、遺書などは残していないという。コロナ禍や尊敬してやまない志村けんさんの死に加え、テレビ業界での立ち位置の変化が暗い影を投げかけていた‥‥。
上島さんを知る放送作家が振り返る。
「正直、上島さんが亡くなるなんて想像もできない。近年、お笑い番組はコンプライアンスが厳しくなる傾向もあり、ダチョウ倶楽部の一発ギャグも披露する機会が激減。加えてコロナ禍でテレビ番組の制作費が大幅カットに。レジェンド扱いである上島さんよりも『第7世代』と呼ばれる若手芸人が重宝される時代に移行しました。上島さんも、先輩の片岡鶴太郎さんに倣って、役者業にシフトチェンジしていると聞いていたし、仕事は順調そのものだった矢先なのに‥‥」
上島さんは、「スーパージョッキー」(日本テレビ系)の人気コーナー「熱湯コマーシャル」でのリアクション芸や「聞いてないよ~」のお約束フレーズでブレイク。その後も「どうぞどうぞ」といった一発ギャグは、今でも定番ギャグとして広く使われているが、トリオとしてのピークは90年代で、ゼロ年代以降はピンでの活躍が目立った。
「志村けんさんが上島さんをいたく気に入り、テレビや舞台でも共演。仕事が終わればそのまま夜の街で、志村さんと徹夜で飲み明かすことも少なくなかった。そのいじられキャラぶりを開花させたのは、志村さんのような大御所芸人の存在があったからこそ。ゲストやひな壇での出演が多い上島さんのような芸人は、年齢と共に、どうしてもテレビでの露出機会が減ることで、メンタル的にバランスを崩す人も多い。しかし、上島さんの場合は、志村さんとの仕事が軸となっていたので、そうした不安要素はまったくなかった」(制作会社幹部)
ところが、20年3月にコロナウイルスにより志村さんが亡くなると、状況が一変する。先の放送作家が嘆く。
「実は、巷間言われている後輩との親睦会『竜兵会』は、有吉弘行や土田晃之など忙しい芸人も多いので、年に数回しか開催していない。普段はもっぱら自宅近辺やテレビ局近くの麻布や六本木などで、一人酒をするのが上島さんのルーティン。ところが、こうした飲み屋は、コロナでいずれも休業する羽目に。もっぱら家飲みをしていたようですが、志村さんの死を含め、相前後して大きな環境の変化が上島さんのメンタルにのしかかっていたのは間違いないでしょうね」
中高年にとって環境の変化が大きな精神的な負担になるのは、壮年世代なら誰もが実感するところ。97年には映画監督の伊丹十三さん(享年64)や、最近では俳優の渡辺裕之さん(66)も突然の不慮の死を遂げた。上島さんについても関係者からは「なぜ?」の声が聞かれるばかりだ。合掌。