「大勢が抜いたとかって、大勢のお陰でオレも(スポーツ紙の)一面に出ちゃってビックリしたよ」
こう語ったのは、主に巨人で活躍した左腕・角盈男氏である。
巨人のルーキー・大勢が8セーブ目を挙げたのは、去る4月13日の対DeNA戦。それまで、巨人の新人セーブは、角氏が1978年に記録した「7」だった。
当時を知るファンは、サイドからの独特な投法をイメージすることだろうが、実はルーキー時はオーバースロー。制球力にやや問題を抱え、2年目は成績がふるわず。
そして迎えた79年オフの、俗に言う「地獄の伊東キャンプ」で生まれたのが、あのサイドスロー投法だった。
元巨人・岡崎郁氏のYouTubeチャンネル〈アスリートアカデミア【岡崎郁 公式チャンネル】〉に出演(5月19日)した角氏は、伊東キャンプでは、自分に合う投球フォームを見つけることも目的のひとつだったと回想。
フォームをいじる際には極端にやらないとダメだ、という指導も受け、左肘を極端に上げて投げ込みを続けたある日のこと。
「ポッと光が見えたのよ」
今まで以上に左肘を上げた状態からのオーバースローには無理があり、自然と腕が下がっていった。結果、サイドスローに辿り着いたという。
巨人の通算セーブ数を見ると、角氏とマーク・クルーンが「93セーブ」で並んでトップ。いずれ大勢が上回った際には「また大勢のお陰で…」という角氏のコメントを目にすることができるのかも。
(所ひで/ユーチューブライター)