1988年4月11日、東京ドームでは、美空ひばりの復活コンサートが幕を開けようとしていた。左右大腿骨骨頭壊死に慢性肝臓病、さらには脾臓肥大という病を患い、一時は再起不能とまで囁かれた、稀代の歌姫。
退院時の「三途の川から戻ってきました。もう二度と三途の川は渡りません」との言葉を象徴する「不死鳥」という大きな文字が、スクリーンに浮かび上がる。その前で、ひばりはアンコールを含めて全39曲を熱唱。東京ドームが嵐のような拍手と歓声に包み込まれたことを、今も鮮明に憶えている。
一夜明けた4月12日、私はひばりの復活会見を取材するため、東京・飯田橋にあるエドモントホテル「千鳥の間」にいた。水玉模様のスーツ姿で登場したひばりは開口一番、
「昨日は頑張りすぎちゃって、この会見に出られるかどうか心配していたんですけど、朝起きたら体も心もすっきりして。こんなことなら、もう1日公演をすればよかったと思うくらい。ただ、昨日は絶対泣くまいと思っていたのに、ダメでしたね。やっぱり年かな」
満面の笑顔に、会見場に集まった記者の誰もが「完全復活」を確信したものだ。
だがその裏には「哀しい嘘」があった。事実、ひばりの体調は最悪だった。公演当日、会場近くに作られた楽屋には簡易ベッドが置かれ、医師が待機。まさに命を削って臨んだステージだった。
ひばりに病魔が忍び寄ったのは、1987年。この年の4月、彼女は公演先の福岡で極度の体調不良に陥り、緊急入院。重度の慢性肝炎と両側特発性大腿骨頭壊死症と診断され、予定されていた公演の中止が決定した。
だが、治療が功を奏し、8月には退院。東京に戻った。そこに現れたのが、のちに世間を騒がせる「謎の治療師」Y氏だった。
Y氏の治療は、特製茶と玄米おにぎり、腸揉みの3つのみ。「これでどんな病気でも治せる」と豪語していた。当時、Y氏を追い続けていた「最期の治療師」著者でジャーナリストの鳥巣清典氏は、私の取材にこう語っている。
「Yは10カ月で、ひばりさんから2000万円の報酬を手にしています。韓国系でありながら『私は中国人で、代々皇帝の治療を施してきた医家の出』と称し、その紳士風の語り口で、病に悩む人に言葉巧みに近づいていく。ただ、治療については無資格で『自然治療師』と名乗る以前には、宝石ブローカーやブラックマーケットの両替商、ベトナム芸能顧問団のマネージャー兼社長という怪しい経歴もありました。『ひばりは私が治し、東京ドームに立たせるまでにした』と話しては、政界や財界で顧客を増やし、天井知らずな治療費を要求していたようです」
だが、騒動の渦中、Y氏は忽然と姿を消す。ひばりの体調は悪化の一途を辿り、結果、復活コンサートから1年後の1989年6月24日、特発性間質性肺炎の症状悪化を併発。呼吸不全により、52歳という若さで生涯を閉じたのである。
怪しげな治療師に再び世間の注目が集まったのは、2003年になってからのことだった。前年に偽名で来日したとして、警視庁に出入国管理及び難民認定法違反で逮捕され、米国へ強制送還されたのだ。ひばりの死から実に14年の歳月が過ぎていた。
山川敦司(やまかわ・あつし):1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。