「相手の女性に関する情報、プライバシーに関することについては、ロックンロールに免じて勘弁して下さい」
交際していた50歳の女性に復縁を迫って自宅に侵入、逮捕された内田裕也が、起訴猶予処分を受けて謝罪会見を行ったのは、2011年6月3日である。この時、内田は御年71歳。
自らがセレクトしたという「マイ・ウェイ」が流れる中、会見場に姿を現した内田は会見の冒頭、片膝をつき「半土下座スタイル」でこう語った。
当時、内田は事業仕分けの見学や被災地への支援活動に積極的に参加し、政治的な発言でマスコミにクローズアップされることも多かった。ところが、なぜかこの日は、
「鍵を替えれば(女性の部屋へ)入れると考え、ロックンローラーがロック屋(鍵屋)に電話したというシャレにならないことをした」
「登場の時の音楽は『監獄ロック』にしようか思ったが、絶対にダメだと言われた」
「(なぜほかの女性と付き合ったかと聞かれ)それは(作家の)伊集院静さんに聞いて下さい」
舌の動きは滑らかなものの、今ひとつ噛み合わず、集まった報道陣の間からは失笑が漏れることもしばしば。
5月12日の逮捕時、「今回は晒してくれた女性にありがとうと思います」と内田の愚行をズバッと切って捨てた妻・樹木希林の凛とした記者会見に比べ、なんだかなぁ、という感が否めない対照的な会見となった。
当然のことながら、会見での質問は樹木との関係に集中。すると内田は苦笑い。
「(面会に来てくれたことは)嬉しかった。ただ、希林さんが『謝らないんですか』と仰ったので、立ち上がって『いろいろヨロシク』ってワケのわからないことを言ってしまいました」
先の会見で「離婚する意思はない」と語った樹木に対し、
「結婚は一度きりだと決めている。僕の方から離婚してくれと言うことは絶対ない」
そう語り、改めてこの夫婦の不思議な絆を感じたものだ。
会見では「69(ロック)+2=71(年齢)」を何度も口にした内田。最後はいつものように「ロックンロール」という決めセリフで締め、51分に及ぶ会見を終了した。
ただ、毒舌全開だった妻の会見に比べ、なんとも歯切れの悪さだけが残ったことを憶えている。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。