この夫婦の不思議な関係性は、たとえ愛娘といえども理解できない何かがあったようだ。
1973年に内田裕也と結婚したものの、わずか2年で別居。以降、2018年に自身が亡くなるまでの四十数年、別居生活を続けてきたのが、樹木希林である。
樹木が住む都内の自宅は、時として記者会見場になることもあり、筆者も幾度となく、彼女の「ミーティングルーム」におじゃましたことがある。それこそ自身の病気も含め、たびたび繰り返される夫の騒動、さらにはオセロ・中島知子が暮らすマンションが、娘・内田也哉子とその夫・本木雅弘の所有物件だったことで、いつもと変わらぬ「希林節」を披露してくれたものである。
筆者にとって忘れられないのは、やはり2010年5月13日の記者会見だ。この日の朝、内田がかつて交際していた女性に復縁を迫り、強要未遂と住居侵入の疑いで逮捕されたという一報が流れる。そして希林が午後1時から、記者会見を開くことになったのだ。
「チラッと聞いた情報では、相手の女性はスチュワーデスさんで…今まで付き合ってきた多くの女性ともいろいろあったようですが、皆さん黙っていたようで。やはり被害に遭ったら言っていただいた方が内田のためだと思うので、今回の女性には逆にありがとうと言いたいです」
樹木自身も結婚当初、内田のDVに悩まされたとして、
「今は年を取ったからないけど、若い頃は毎晩ですからね。口がうまい人じゃないから、手が出る。家の中はメチャクチャ。もう包丁をどれだけ買いに行ったか。金物屋さんが『お宅はどうして包丁がこんなに壊れるんですか』って言ったくらいだから。暴れた時のために、110番したらすぐ来てもらえるよう、渋谷警察署に登録してありますから」
2人の別居も内田の暴力が原因だったが、それでも四十数年も離婚しない理由については、
「まあ、縁ですからね。自分に合った人と出会うわけですから。ただ、娘は『お母さんは他人だからいい。私は血が繋がっている』って。今回も『お母さんがいてくれてよかった』と言っていました」
ちなみに、これまで内田が謝罪したことは一度もないそうだが、
「死ぬ間際に言うかどうか。私が先に死ぬ場合は、本人に言わせた方がスッキリするかもしれません。できれば今世は離れたままで、来世は合わないのがいい。介護保険料も払っているので、今度家に帰ってきたら、世話する人に面倒を見てもらいたいですね」
そして彼女は最後にこう締めくくった。
「(言いたいことは)全くないです。できれば、もうちょっと長くいってていただければ」
死ぬ間際に言うかどうか…。くしくも内田が彼女のそんな言葉を噛みしめることになったのは、騒動から8年後のことだった。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。