95年に勃発した「ダイエーvsサントリー」の“ビール戦争”は、企業同士というよりも経営者同士の意地の張り合いが熾烈化の原因だ。発端はダイエーがベルギーから格安のPB(プライベートブランド)のビールを輸入したこと。このダイエーのPB戦略にシェアを食われることを恐れ、内心穏やかでなかったサントリーの佐治敬三会長は、ダイエーのPBビールとそっくりのビールを輸入。ダイエーのライバル業者に売ったのだ。
これにメンツを潰され、逆上したダイエーの中内功会長は、ビールやウイスキーをはじめコーヒーやジュースなど、あらゆるサントリー製品を売り場から締め出すという荒技に出る。
意地の張り合いとなった両社は結局は手打ちするが、これには秘話がある。当時ダイエーの広報課長だった野嶋篤氏が語る。
「中内さんは強気の人のように思われていますが、メンツさえ立ててくれれば妥協する度量を持った人です。佐治さんもそうでしょう。そんなトップの意をくんで、慶応大学の村田ゼミで同級生だった中内ジュニアと佐治ジュニアが水面下で動いたのです」
手打ちで最もホッとしたのは、意外と当のトップ同士だったのかもしれない。
一方で和解に至らなかった企業トップ同士のぶつかり合いもある。98年に起きた「新日鉄vsNEC」の暗闘だ。経団連(当時)の会長選挙を前に両社のトップが、その座を巡り争ったのだ。経済ジャーナリストが話す。
「それまで経団連のトップは『鉄』か『自動車』の人ばかりでした。『日本経済を牽引したのは我々だ』という自負があった電機業界の総意を受けて、立候補したのがNECの関本忠弘氏でした。一方、旧来勢力からは新日鉄トップの今井敬氏が出馬して、両者の水面下の支持集めは両業界を巻き込んで熾烈なものとなりました。結果は今井氏に軍配が上がりました。さらに、両社に遺恨を残すことになったのは、直後に関本氏が“防衛疑獄事件”に巻き込まれ、失脚したためです。新日鉄の陰謀かとさえ言われました」
和解なき暗闘は遺恨を生み出す。そのせいなのか、経団連と日経連が統合されて日本経団連となるまで電機業界から会長が選出されることはなかった。
このように、日本経済史には秘された暗闘劇が数多い。この背景には、いったい何があるのか。
ジャーナリストの須田慎一郎氏はこう解説する。
「ベースには日本企業のウエットな体質があるのでしょう。本来、企業が目指すべきところは利益の拡大であるのに、メンツや好き嫌いといった感情が先行してしまっている。他社を見下したり、こちらが格上だと言ってみたり、非合理的な経営判断が行われているから、感情的なもつれにつながっているのでは。もちろん日本特有のものとは言いませんが、無用な対立は両社が損をする結果になるのですから、こうした対立が生じる企業は経営が未成熟だと言わざるをえません」
はたして、日本から「犬猿の企業」が消失することはあるのだろうか。