企業同士のいさかいは、同業であればあるほど熾烈化し、かつ終わりが見えない。
例えば、航空業界の「JALvsANA」が好例だ。両雄の確執は創業当時からあるのだが、10年にJALが会社更生法を申請。政府から手厚い支援を受けると、ANAの不満が爆発。当時のANA社長は会見で「政府は公平公正な競争環境を保つべき」と批判した。昨年もボーイング787の事故を受け、両社の共同会見をJALが持ちかけたが実現はできなかった。
「腐った翼 JAL消滅への60年」の著者、ジャーナリストの森功氏が言う。
「JALは半官半民会社を前身とし、ANAは朝日新聞のヘリ会社から始まっており、国策会社とベンチャーという成り立ちから企業風土がまったく違う。JALは国鉄と同時に民営化したものの、放漫経営が許されてきた。ベンチャースピリットで頑張ってきたANAとしては当然釈然としない。ANA側も巻き返しとばかりに、政治家を使った水面下の駆け引きが行われています。その一つの成果が羽田空港の国際化で、JALの拠点である成田以外の国際便の発着を可能にしようと、ANAが風穴をあけたのです」
空がこの調子なら、陸も同じ。「JR東日本vsJR東海」も激しいつばぜり合いを演じている。
両社ともに国鉄民営化に伴って分かれた会社で元は同根だ。なのに、分社した直後から東海道新幹線を巡り対立。東海が品川駅に車両基地を構えたいと東日本にお願いすると、品川の最果ての地に基地を設けられた。今度は東日本が東北新幹線との乗り合いを提案すると、東海が拒否。リニア新幹線構想では主導する東海が、東日本が拠点と考える東京駅ではなく品川駅を始発駅にすると言いだす始末なのだ。
この両社の激突を、はからずも目撃した。それは11年の六代目山口組・司忍組長の出所時のことだった。府中刑務所を出所した司六代目は品川駅から新幹線に乗り込み、神戸へと向かう。そのため、品川駅の港南口と高輪口を結ぶ通路には、大勢の報道陣が待ち構えていた。そこに現れたのが東海の駅員だった。
「乗客の通行の妨げになりますので‥‥」
そう言うと手際よく規制線を張り出した。指定されたエリアに報道陣を押し込めようとしたのだ。
すると、東日本の駅員が飛び出してきて、こう言い放ったのだ。
「ここから先はウチの敷地だ。入ってくるな!」
東海が指定したエリアが東日本の敷地にはみ出ているという。東日本の駅員が指さす地面は敷石タイルの色の変わり目。現場レベルのささいな出来事だが、その変わり目には、目に見えない深い溝があったのだ。