85年の日本航空123便墜落事故で「無残な遺体」の捜索や収容に苦闘していた隊員らの昼食に「鶏肉の照り焼き弁当」を配給した日航の「現場責任者」──。
前回紹介した群馬県上野村の故・黒澤丈夫村長が時に涙を滲ませ、時に声を震わせながら筆者に語った静かな怒り。ほかならぬ現場責任者が、現場のリアルをイメージすることができない意識のズレと想像力の欠如は、今回の新被害想定で「遺体処理問題」に関する記述をわずか1ページで片付けてしまった都の防災会議にもそのまま当てはまる。
都の元総務局総合防災部幹部も、呆れ顔で次のように指摘するのだ。
「例えば、最大の被害が見込まれている都心南部直下地震が都区部を襲った場合、被災現場では具体的に、どのような地獄絵図が展開されることになるのか。まず欠落しているのがこの点です。真っ先に思い浮かぶのは、木密地域(木造住宅密集地域)における、夥しい数の圧死者や焼死者です。かろうじて圧死を免れた自力脱出困難者からも、延焼による大量の焼死者が出るでしょう。同様に、旧耐震基準の雑居ビルや事務所ビルでも圧死者が続出するほか、生存者も救助の手が差し伸べられないまま、放置死を余儀なくされるのです」
それだけではない。7月2日配信の当連載でも指摘したように、運よく焼死や圧死や放置死を免れた人々も、その後に襲いかかる食料や水の枯渇によって、次々と行き倒れ(餓死)に追い込まれていくのだ。元総務局総合防災部幹部が続ける。
「その場合のタイムリミットはわずか3日(72時間)です。しかも、現場は自力脱出困難者すら救助できない修羅場と化しますから、震度6強以上の揺れに襲われる、都区部のおよそ6割の地域では、焼死や圧死や放置死や餓死による無数の遺体が、そのままの状態で野ざらしにされることになる。建物の下敷きになりなから焼け死んでいくのも悲惨の極みですが、野ざらしの遺体に囲まれながら息絶えていくのもまた、地獄でしょう」
現実に起こり得る事態への、想像力を欠いた被害想定がいかに空疎なものか。防災会議の面々は鶏肉の照り焼き弁当でも食しながら猛省すべきである。
(森省歩)
ジャーナリスト、ノンフィクション作家。1961年、北海道生まれ。慶應義塾大学文学部卒。出版社勤務後、1992年に独立。月刊誌や週刊誌を中心に政治、経済、社会など幅広いテーマで記事を発表しているが、2012年の大腸ガン手術後は、医療記事も精力的に手がけている。著書は「田中角栄に消えた闇ガネ」(講談社)、「鳩山由紀夫と鳩山家四代」(中公新書ラクレ)、「ドキュメント自殺」(KKベストセラーズ)など。