焼死、圧死、放置死、餓死…。前回は建物の倒壊や火災などで犠牲になった大量の遺体が「野ざらし」にされる悪夢について指摘したが、次に浮上してくるのが、それら夥しい数の遺体を「収容⇒身元確認⇒火葬」するための「遺体処理問題」である。
今回の新被害想定では、首都直下地震の発生から数日後までには避難所や公共施設などに多数の遺体が収容され、1週間後には医師や歯科医師による身元確認や遺族への案内などの活動が開始される、と書かれている。だが、都の元総務局総合防災部幹部は、
「前提からして、あまりにもノーテンキでタチの悪い想定と言わざるを得ません」
こう吐き捨てた上で、次のように指摘した。
「そもそも都の防災会議が遺体の収容先と考えている避難所や公共施設などの建物が、震度6強以上の猛烈な揺れを受けても無事なのか、という大問題があります。仮に一部の建物が無事だったとしても、遺体の収容能力は実に微々たるもの。しかも遺体収容の担い手とされている地域住民は、食料や水の枯渇による餓死者予備軍であり、自衛隊をはじめとする全面的な支援の手が差し伸べられるのも、発災からずっと後のことなのです」
要するに、遺体処理は当初から暗礁に乗り上げるというのだ。では、遺体処理が開始されてからは、どんな光景が展開されるのか。元総務局総合防災部幹部が続ける。
「結局のとろ、遺体は焼け野原となった空き地などに『野積み』するしかないでしょう。野積みされた大量の遺体はやがて腐乱し、あちこちの山から強烈な悪臭が発生してきます。真夏であればさらに悲惨なことになりますが、その後に開始される身元確認も困難を極めるでしょう。火葬場の処理能力もすぐに限界を超えてしまいますから、例えば遺体を都外など、地域外の火葬場に移送する手間暇も含めて、遺体処理が完了するまでには気の遠くなるような労力と時間が必要になってくるのです」
考えたくないことではあるが、これが偽らざる実相なのだ。
(森省歩)
ジャーナリスト、ノンフィクション作家。1961年、北海道生まれ。慶應義塾大学文学部卒。出版社勤務後、1992年に独立。月刊誌や週刊誌を中心に政治、経済、社会など幅広いテーマで記事を発表しているが、2012年の大腸ガン手術後は、医療記事も精力的に手がけている。著書は「田中角栄に消えた闇ガネ」(講談社)、「鳩山由紀夫と鳩山家四代」(中公新書ラクレ)、「ドキュメント自殺」(KKベストセラーズ)など。