大学院の博士課程の1年夏から2年の冬まで、小保方さんは、アメリカのハーバードに留学する。そこで彼女は1人の研究者を夢中にさせるのだ。理研関係者が語る。
「ハーバードでは、ネズミの背中に人間の耳を培養したバカンティ教授の下で万能細胞の研究をしています。帰国する彼女を教授は『アイ・ニード』(僕には必要なんだ)と言って引き留めました。STAP細胞発表後には、『彼女はライジング・スター』とホメちぎっています」
バカンティ教授は、論文撤回騒動で共同執筆者が撤回の意思を示す事態になっても、一貫して小保方さんの味方となっている。
次に彼女が取り入ったのが、当時、理研のチームリーダーだった山梨大学の若山輝彦教授だった。若山教授は、「文藝春秋」4月号「小保方さんがかけてきた涙の電話」で、小保方さんの第一印象をこう語っている。
〈留学先のハーバード大の小島宏司教授から、メールで小保方さんに協力して欲しいと連絡があったのです。(中略)自分の意見もはっきり言うし、プレゼンテーションもうまい。その頃、彼女はまだ博士課程の3年生でしたが、相当レベルの高い学生だなと思いました〉
若山教授の研究室に入った小保方さんは、高校時代同様に、“密着マーク”をするようになった。前出・理研関係者が語る。
「若山先生は、クローンマウスの専門家です。上目遣いで『センセ、センセ』と追いかけ回し、『教えてくださぁい』と鼻にかかった声で呼びかけるのです。若山先生の奥さんも同じ研究室にいましたが、奥さんが先に帰るとすぐにメールで、『先生、ごはん食べにいきましょう☆』と誘いかけていました」
小保方さんが、すり寄っていたのは1人だけではない。この研究室に彼女を推挙した小島教授にも密着しているのだ。この時期、小保方さんは「女性として理系で生きることはつらくないか?」という質問に、こう答えている。
「全然大変じゃないですよ! 女性は珍しいから、みんなちやほやしてくれますし。両手に花です」
前出・理研関係者が失笑する。
「理系が男性社会っていうのはいつの話ですか? 特に生物や化学系への女性の進出は著しいのです。大学での男女比もだいたい半々ですよ。『ちやほや』っていうのは、彼女がそう仕向けていたからでしょう」
12年末、彼女はついにSTAP細胞の作成に成功したと理研に報告した。そして、世界的な科学誌「ネイチャー」に論文を提出するのだが、あえなく却下されてしまう。
「若山先生といても世界レベルの論文は通らないと考えたのか、いつの間にか理研の副センター長である笹井芳樹先生に急接近したのです。笹井先生は、万能細胞である『ES細胞』の第一人者で、ノーベル賞候補にもなった人物です」(前出・理研関係者)
次期センター長の筆頭候補である笹井氏という威光を後ろ盾にした彼女は、30歳の若さでユニットリーダーに昇進する。笹井氏は周囲に「僕のシンデレラ」と漏らしていたほど、小保方さんにご執心だったようだ。
「騒動が発覚したあとも、笹井先生は『僕はケビン・コスナーになる』と語っていました。映画『ボディガード』のように小保方さんを守るという意味のようです。2人の関係は『O・S結合』と言われています。小保方さん、笹井先生の頭文字ですが、酸素(O)と硫黄(S)が結合した『排気ガス』の意味も含まれています」(前出・理研関係者)
最終報告を受けたあと、笹井氏が出したコメントには、いまだSTAP細胞の存在を信じることがつづられている。2人はまだ結合し続けているのだ。