テリー 当時のメキシコって、どんなところだったんですか。
オカダ 僕、それが初めての海外だったんですけど、向こうの空港に着いたら車の排気ガスがすごくて驚きましたね。道場に着くと、すぐ横がプロレス会場で、露店でプロレスのマスクが売られているのを見て「ああ、メキシコに来たんだな」と。あとはすごく痩せた野良犬が歩いてました。
テリー あ、そう(笑)。やっぱり日本とはかなり雰囲気が違いますよね。
オカダ そうですね。行く前から先輩たちに「誰も信用するなよ」みたいなことは言われてましたし。先輩たちもみんなメキシコ経験者なんですよ。「そのへんにスーツケースを置いとくと持ってかれるぞ」とか「誰かに何かしてもらうとチップを要求されるから、誰にも何もさせるなよ」とか言われてました。
テリー 住まいは?
オカダ 道場と寮が一緒になっていて、そこに住んでました。
テリー じゃあ、住み込みみたいな感じで。オカダさんの他に15歳っていたんですか。
オカダ みんな高卒や大卒で、中卒は僕だけでしたね。
テリー 例えば15歳と18歳の体力って全然違うじゃないですか。練習にはついていけたんですか。
オカダ まったくついていけなかったですね。だから、同期にはすごく迷惑をかけたんですけど、誰も文句言わずに面倒を見てくれて。ほんとに、いい人たちに恵まれたなと思います。
テリー それでメキシコでデビューしたのが?
オカダ 16歳の時です。
テリー たった1年でデビューしてるんですね。その時はどういう選手が相手だったんですか。
オカダ 道場でプロレスを教えてくれてた先生です。授業みたいに、すぐボコボコにされて。
テリー あ、そういうことなんだ。
オカダ でもメキシコでは、新日本プロレスでは経験できないような、いろんなところで試合をしましたね。「移動はトラックで」って言われて、3時間ぐらい荷台に座って移動したり、大雨の中で試合したり。お客さんが選手の家族だけだったこともありますし。
テリー あらら(笑)。
オカダ おもしろかったのはリングから落ちてパッと顔を上げたら、目の前に野良犬がいたんですよ。
テリー アハハハハハ!
オカダ 東京ドームで試合してたら、まず野良犬がいることなんてないですから。すごくいい経験だったと思います。
テリー メキシコからどうして日本に帰ることになったんですか。
オカダ 向こうには3年半いたんですけど、もうメキシコでの目標がなくなってしまったというか、日本で試合をして、日本で有名になりたいっていう気持ちが強くなったんです。それで僕の師匠であるウルティモ・ドラゴンさんが、「日本に行くなら新日本プロレスがいいよ。俺が話してあげるから」って言ってくれて。ちょうどその時にメキシコに来られていた獣神サンダー・ライガーさんを紹介してくれたんですよ。
テリー ウルティモ・ドラゴンさんは「闘龍門」の創設者ですよね。
オカダ そしたらライガーさんに「特別扱いはできない。また新日本プロレスで一から始めるならいいよ」と言われて、移籍することになりました。
テリー 3年の実績があるのに、一からというのは、どうだったんですか。
オカダ でも、新日本プロレスとメキシコのプロレスでは、受け身の取り方ひとつ取っても違うんですよ。だから、メキシコで得た技術は最初はまったく出さず、新日本プロレスのプロレスを一から学んで、徐々にその引き出しを開けられたらいいかなと思ってましたね。