「最後には無念が残ってると思う。やっぱ立浪監督っていうね、アイツがいちばん男にしたいと思った1人だと思うよ、監督としてね。それに力及ばずということで、まあ引退という…無念だろうね、男としてね」
9月8日、中日の福留孝介が、日米通算24年のプロ野球生活から今季限りで引退すると発表。それを受けて急遽、YouTubeチャンネル〈高木豊 Takagi Yutaka〉で、福留の胸の内を冒頭のように語ったのは、高木豊氏である。
福留は98年のドラフト1位で中日に入団。翌99年、選手会長に就任したのは、現監督の立浪和義だった。
メジャーリーグ、そして阪神を経て20年オフに、古巣復帰。今年から指揮を執る、PL学園の先輩でもある立浪監督を「男にしたい」との熱い思いが強かった。
だが今季は、交流戦終了時点で打率0割4分3厘の惨状で、6月13日に登録抹消。以降、1軍で出番のないまま、チームも最下位に低迷し、現在に至っている。
福留といえば、こんなシーンを思い出す。
02年、ヤンキースに移籍する直前の巨人・松井秀喜は、三冠王タイトルに迫っていた。50本塁打、107打点、打率3割3分4厘。この時、3割4分3厘で首位打者の座に上り詰め、松井の三冠王を阻んだのが、福留だったのだ。
高木氏は04年のアテネ五輪で、日本代表チームの内野守備走塁コーチだった。あの時のメンバーで今も現役でプレーする選手は、ソフトバンク・和田毅と福留だけ。高木氏はそう言って、寂しさを滲ませた。
(所ひで/ユーチューブライター)