11月2日。朝、目が覚めるとジュテの棺を1階に運び、リビング横の和箪笥の上に寝かせた。箱の隙間には保冷剤を入れて。
スマホで撮った写真を駅前のDPEでプリントしてもらい、遺影にした。動物病院からお花をいただき、祭壇は賑やかになった。
以前、住んでいたマンションのCさんが、翌日の葬儀に娘のKちゃんと一緒に来てくれると連絡があった。ジュテ、よかったね。
仕事には出かけず、時々ジュテの顔を見ながら1日を過ごした。
翌日は車で出かけ、駅前でCさん、Kちゃんと合流。ペット霊堂に向かう。ゆっちゃんはCさん、Kちゃんと話をしているが、僕はまともに2人の顔を見ることができない。今にも気持ちが崩れてしまいそうな気がするのだ。
霊堂に到着し、4階のフロアで葬儀が始まるのを待つ。その日は2組ほど葬儀が入っていたようだ。Cさんがジュテの思い出を話してくれた。
「ジュテはウチでは『ウメ~』と泣くから、ウメちゃんと言ってたの」
ジュテは人によって鳴き声を使い分けていたのだろうか。
「本当に人になつく、いい猫(こ)だったね」
順番が来て4人が横に座り、葬儀が始まった。テープで流れるお経を聞き、焼香。この10年をジュテに感謝する。
それからは上階の斎場へ移動。焼き場は2つある。ジュテ用の窯の上には「峯田家 愛猫ジュテ号 享年十二歳七カ月」の貼り紙。スタッフが棺のジュテを抱え、愛用していた薄い座布団の上に寝かせた。4人が並んで合掌すると、「最後のお別れになりますが、好きな食べ物とか、あったら入れていただいてかまいません」とスタッフが言う。最後に棺に入れてあげようと持参した、好物の焼いたシャケやカツオをお皿に入れて並べた。
手を合わせる。これが最後だ。「さようなら、ジュテ。ありがとう」。
控室に戻ると、意外に長く待たされた。しばらくして、その理由がわかった。ジュテの骨がトレイに、頭から尻尾まで動物の標本のように、キレイに並べられていたのだ。スタッフはどこのどういう骨かも、詳しく説明する。急に現実に引き戻された気がしたが、死んだジュテを直視できたのはある意味、安寧でもあった。
骨はペット用の骨壺に入れてもらい、人間と同じような銀の飾りを被せ、自宅に持ち帰った。和箪笥の上の祭壇はCさんからいただいたお花、動物病院のお花、霊堂のSさんからいただいたお花で埋め尽くされた。
そして今も、ジュテは同じところに安置されている。あれから10カ月。2カ月前に、ガトーとクールボーイの弟猫を紹介してくれたMさんから連絡があり、都心で行われる保護猫の譲渡会に出かけて行った。次の猫を飼う心の準備はできていないが、なんとなくふわっと何かに出会いたかったのだと思う。
そこに、黒猫がいた。八割れではないので、ジュテのように手足がソックスでもお腹が白くもない。ケージの中からこちらに必死に近づこうとしている、真っ黒な猫。「ジュテの時と同じ、目と目が合った。「うちに来たいと言ってるみたい」とゆっちゃん。
夏目漱石の「吾輩は猫である」の猫は黒猫だったといわれる。名前を何にしようかと言ったら、ゆっちゃんは迷わず、「そうせき」。それで決まり!
飼い始めて2カ月。そうせきは人懐こさ、利発さがジュテそっくり、猫じゃらしで遊ぶと面白いように素早くクルクル回るのも同じ。ご飯を食べている後ろ姿はウリ二つだ。
これは奇跡かもしれない。
ジュテはいなくなったけど、我が家にそうせきがやって来たのだ。
(峯田淳/コラムニスト)