ザ・ドリフターズの仲本工事さんが、10月19日に亡くなった。18日に妻の演歌歌手・三代純歌さんがカレー店を営む横浜に出かけた際、店の近くの道路を横断して車にひかれ、危険な状態が続いていた。81歳だった。
ドリフのメンバーの死去は4人目。先に荒井注、いかりや長介、志村けんが亡くなっている。仲本さんが生前、メンバーについて語ったことがあったが、リーダーのいかりやについてのものが最も印象深い。
いかりやの説教が長いのは有名で、ひとつのコントやギャグについてのダメ出しがすごかった。「言葉の順序を間違えたら笑いがとれなくなる」とうるさく、間を大切にし、メンバーがトチッたりすると雷が落ちた。ただし、できないことを無理強いすることはなく「できることをやればいい」と理解があった。
いかりやは飲んべえだったが、ドリフは仕事が終わるとみんなで飲みに行ったりしなかった。終わったら解散するのだが、いつも高木ブーが帰り際に捕まってしまい「おい、行こうや」と連れ出された。飲んでも説教好きは変わらず、いつもブーが犠牲者になって怒られていたという。
仲本さんは「8時だョ!全員集合」が終了してからはドラマや舞台に出るようになり、森繁久弥にかわいがられた。その仲立ちをしたのがいかりやで、森繁に「仲本をオレんところによこせ」と頼まれたのがきっかけだった。
メンバーのことをいろいろ聞く中で、最も口が重かったのは、志村についてだった。「いやぁ、それは…」と言い、多くを語らなかった。ただ、74年に荒井がドリフを辞めて、志村がメンバー入りする際のことは語ってくれた。
志村は元々、加藤茶の付き人。荒井が辞めるとわかってから1年間は、メンバーが5人から6人に増えたが、最初のうちは志村は溶け込めず。仲本さんによれば「リラックスした感じがなかった」という。それが吹っ切れたのは、番組の中で歌った「東村山音頭」がウケたのがきっかけだったという。
ギャラについても聞いてみた。いかりやの取り分が半分などという噂があり、メンバーとの関係が悪化した一因だと書き立てられたこともある。これについては「それはいいでしょう」と笑いながら、大人の対応だった。
仲本と純歌さんが経営する「仲本家JUNKAの台所」にも5回、お邪魔している。純歌さんの手料理の大皿惣菜が売りだったが、仲本さん自ら中に入って焼鳥を焼いていることもあった。あの後ろ姿が今でも目に焼き付いている。
(峯田淳/コラムニスト)