愛媛県宇和島市で開かれる「万波誠医師のお別れ会」に向かう羽田空港で、20年以上も取材でお世話になっている消化器外科医から連絡がきた。「記事読みました?」というものだ。
何のことかと尋ねたところ、万波医師と同時代に肝臓移植を執刀していた大学病院の元教授の闘病記がニュースになっている、と教えてもらった。
「匿名記事とはいえ、この業界内であの教授を知らない外科医はいない。闘病記で認知症が明るみになった。既に高齢で手術や外来診療は無理とはいえ、肩書きだけの名誉職も務まらなくなるだろう。医師として『死刑宣告』を受けたようなもの」
元教授の名誉のために補足すると、医師が認知症になるのは珍しくない。例えば救命救急医や小児科医は「担ぎ込まれた子供を助けられなかった悲劇の瞬間」がフラッシュバックする。どんなに高名な医師でも、子供や若者を救えなかった後悔と悔しさは無意識のうちに脳裏に深く刻まれ、認知症になるとその悲劇の瞬間が、死ぬまで延々とフラッシュバック。自宅にあった医療器具や薬のアンプルを手に、涙を流しながら徘徊するという無限地獄に突き落とされるのだ。
この元教授の医局は、万波医師が米国に招聘される際も全米移植学会に抗議文を送るなどして、天才外科医と画期的な移植治療を妨害し続けた京都大学や名古屋大学の医局とは、一線を画していた。全国の病院に外科医を派遣する国内最大のマンモス外科医局のトップに君臨し続けた、名実ともにスゴ腕の元大学教授の末路を、しばし憂いた。先の消化器外科医は言う。
「あなたも知っていると思うけれど…あの教授は医学部の教授会でも、消化器内科の教授と治療方針を巡って『白い巨塔そのもの』の戦いを繰り広げていたし、学会でも他の医師の研究論文に少しでも疑惑があると、容赦なくツッコミを入れていた。エネルギッシュな人で、曲がったことは大嫌い。製薬会社とズブズブの医師にも容赦なかった。『新薬なんて信用できるか。外科手術は半世紀以上、患者を救ってきた実績があるんだ』と。言っていることは正論も正論。ただ、ツッコまれた医師にとっては『公開処刑』だった。だから医学部内にも、消化器内科医、消化器外科医の間でも敵ばかり。でも、ご本人が過去の栄光と現在の区別すらつかなくなっている現状を大学病院関係者がメディアにリークしたなら、後味が悪すぎる」
さらには、
「自分の生命を削るように多くの患者を救ったところで、結局は足の引っ張り合い。大学病院なんて、早く足抜けしてよかったよ。ああいう黒を白にすることを許さない先生がいなくなったら、日本の臨床研究に未来なんてない」
そう言って、消化器外科医は会話を締め括った。身内のリークで晩節を汚された元教授の執刀にも立ち会ったことがあるが、大学病院の教授としては珍しく、手術が上手かった。移植手術がうまい医学部教授は、この教授や米国帰りの教授を含めて当時、日本にわずか5人しかいなかった。なぜ他の医学部教授は手術が下手なのか。
その問いに答えるべく、元教授が移植外科医の資質について雄弁に語っていた姿を思い出した。
「移植外科医に必要なのは、数学的センスなんです。臓器提供を受ける患者と、提供する患者の臓器をひと目見ただけで、切り取る肝臓の体積を導き、さらにどういう角度で肝臓を切り出せば、他の臓器で凸凹した体の中にすっぽり収まるか…瞬時に計算し、メスを動かせるセンスが。だから子供の頃から難解な体積問題を解き、頭の中に3Dの臓器をイメージする訓練をした神童にしか、優秀な移植外科医は務まらない。受験勉強だけして医学部に入ったガリ勉に、移植外科は無理なんですよ」
元教授はそう語っていた。今で言うなら、W杯日本VSスペイン戦の決勝ゴール、ライン上に残ったボールの体積を数秒ではじき出せるような神童でないと、移植手術はできないということだ。
宇和島という瀬戸内海の片隅で2000件近い腎移植手術を続けた「瀬戸内グループ」の万波誠・廉介兄弟、西光雄医師、光畑直喜医師にも通じる言葉だ。患者とドナーの腹や背中を割き、事前に撮影したCT画像と寸分の狂いもないことを確認したら、動脈に的確な角度でメスを入れ、イメージ通りに臓器をサクサク切り取っていく。だからうまい移植外科医の手術は数時間で終わる。動物実験の論文しか書いていない、日本国内のほとんどの大学教授には無理な芸当だ。そのせいで、日本国内の脳死移植は、年間70例にも満たない(2020年統計)。
2人の天才外科医が時を同じくして「医師生命」を終えた。一人は夢現の中、最後まで医師人生を全うして。もう一人は、最後まで「白い巨塔」の権力争いに巻き込まれて。
外科医は自分の寝食と生命を犠牲にして、手術台に立つ。それは救命救急医も救急隊員も同じだ。どうかこの冬、「喉が痛いのが我慢できない」「タダだから」という大したことのない理由で救急車を呼ぶのだけはやめてほしい。
(那須優子/医療ジャーナリスト)