テリー よく昔のレスラーって、重いバーベルを持ちながらヒンズースクワットしてたじゃないですか。あれって体によくないですよね。
武藤 俺、入門が1984年だから38年前なんですよ。その当時はヒンズースクワットを朝1000回、また夜に2000回やらされたんですよ。それはヒザも痛くなりますよ。
テリー ねぇ。
武藤 しかも当時の新日本プロレスの道場ってトタン屋根で、中がメチャクチャ暑くなるんですよ。それでも水を飲んだら怒られる。ほんとに非合理的な練習してましたよ。
テリー 早稲田実業(テリーの母校)の野球部の連中も3時間の練習で、1回も水飲ませてもらってなかったですよね。あと、僕らの若い頃って、うさぎ跳びで神社の階段を登らされたりしたじゃないですか。
武藤 ほんと、今考えたら怖いことですよ。
テリー そういう練習って、いつまで続いたんですか。
武藤 俺、アメリカに行ったのが早かったので、もしかしたら最初に変えたほうかもしれないです。アメリカ人は栄養学にも凝ったりして、もっと合理的な練習してましたから。
テリー なんで日本はそうじゃなかったの?
武藤 プロレスって力道山が伝えてきたものだから、入門すると、まずチャンコ番なんですよ。
テリー ああ、そうか!
武藤 で、朝飯も食わずに練習して、チャンコを作って。他の選手の世話もあるから、全選手が食い終わるまで食えないんですよ。だから、1日の最初の食事が午後3時だったりして、ほんと非合理っていうか。チャンコ自体は栄養価が高いんですけどね。
テリー でも、しきたりというかシステムが。
武藤 そうなんですよ。
テリー そうすると、やめれば武藤さんの体はよくなっていくんですか。
武藤 今年(22年)3月に新日本プロレスの50周年イベントが日本武道館であって、俺たち新日本プロレスのOBも呼ばれたんですけど、坂口(征二)さんとか、全員ガタガタですよ。蝶野(正洋)だって杖ついてるし。
テリー 小橋建太さんとかもね。
武藤 そうそう。俺、もう50メートルは走れないけど、20か30メートルの競走だったら、たぶんいちばん速いですよ。今度OBばっかり集めて、運動会でもやりたいなと思ってるんですけど(笑)。
テリー アハハハハ、おもしろい! でも、それだと早めに引退するのが正解かもしれないですね。改めて振り返って、どんなプロレス人生だったんですか。
武藤 いや、よかったと思いますよ。ひとつ俺が誇りに思ってるのは、ほんとにトップスターと呼ばれる選手とほとんど試合できたっていうこと。アントニオ猪木さん、前田日明、藤波辰爾、長州力。アメリカでもハルク・ホーガン、リック・フレアー、スティングとかね。
テリー みんな伝説の選手ですね。
武藤 俺、(俳優の)ドウェイン・ジョンソンのお父さん(ロッキー・ジョンソン)とも試合してるんですよ。ドウェインも「ロック」っていう名前の元プロレスラーで。あいつのフィニッシュの技が、俺のエルボーのパクリなんですよ。
テリー あ、そうなんだ。
武藤 映画の舞台挨拶で来日した時に向こうから「お前の技をいただいた」って言ってきたんです。子供の頃に俺と父親の試合を見てたみたいで。
テリー へぇ、すごい。
武藤 だから、「じゃあロイヤリティよこせ」って言って(笑)。そういうひとつひとつが俺の誇りというか、自慢ですね。