●ゲスト:藤波辰爾(ふじなみ・たつみ) 1953年、大分県生まれ。70年、「日本プロレス」に入門し、71年デビュー。同年、「新日本プロレス」の旗揚げに参加。斬新なドラゴン殺法を駆使して一躍スター選手となり、日本に「ジュニアヘビー級」のジャンルを築いた。82年から始まった長州力選手との抗争は「名勝負数え唄」と呼ばれ、80年代のプロレスブームを牽引。15年、WWE殿堂入り。現在も「ドラディション」で現役レスラーとして活躍中。
今年デビュー50周年を迎えた藤波辰爾。日本でのジュニアヘビー級人気を確立し、ライバル長州力との一騎打ちは80年代のプロレスブームを牽引した。決してエリートではなかった青年はいかにしてレジェンドとなったのか。今も現役を続ける秘訣に天才テリーの必殺トークが迫る!
テリー ご無沙汰してます。デビュー50周年、すごいですね。
藤波 はい、やっと50年を迎えました。
テリー あっという間?
藤波 いや、まだ50年という数字があまりピンと来ないんですよね。ずっと同じスタンスでやってますから。
テリー 例えば野球選手にはユニフォームがあるじゃないですか。プロレスラーの方はずっと裸だから、大変ですよね。
藤波 僕ら四方から見られて、隠すものがないですからね。でも、その姿でファンの前に出るっていうことは、自分のチェックでもあるんですよ。健康でなきゃいけないし、見栄えも気にしますんで。
テリー 見た目から強そうでないとね。だって同情されるわけにいかないから。そのために、日々どういうことを意識して過ごしてるんですか。
藤波 もう今は全盛期のようなムチャなトレーニングはしませんね。全盛期の頃は自分の限界が知りたくて、例えばベンチプレスは何回できるんだろうとか、ヒンズースクワットはどのぐらいできるんだろうと、毎日ムチャしてましたね。
テリー ヒンズースクワットは何回できたんですか?
藤波 いちばん多い時で9000回ですね。
テリー ええっ、1日に!?
藤波 1回で。
テリー ヒンズースクワットって、その場で立ったり座ったりする、脚の屈伸運動ですよね。
藤波 そうです。今はもうヒザが痛くてそんな回数できないですけど。自分で意識したのが9000回で、もっとやったことがあるかもしれない。
テリー それ、どのぐらいかかるんですか。
藤波 4時間ちょっとです。
テリー えっ、4時間!? スゴいなぁ!
藤波 その頃ってある程度脚の筋肉や脚力が付いてますので、最初の2、300はキツいんですけど、それを過ぎたらもう機械みたいにひとりでに立ったり座ったりできるんですよ。炎症を起こしちゃうから関節にはよくないでしょうけど。だから50年経って、今ちょっとヒザにきてますね。
テリー そりゃそうですよ。今は「ドラディション」というご自身の団体で、現役のレスラーじゃないですか。最近はどういうトレーニングをしてるんですか?
藤波 6、7年前に腰の狭窄症の手術で、初めて自分の体にメスを入れて。それ以来、自分の思うような練習ができなくて、もどかしい状況ですね。それに今は自分で道場を持ってないので、スパーリングもできないんですよ。だから試合の日にちょっと早めに会場に入って、そのリングで軽くスパーリングするぐらいですね。
テリー 最近はどのぐらい試合に出てるんですか。
藤波 年20試合ですね。他の団体からオファーがあった時はもう少し増えますけど。今は大会も自分で開いてるので、自分のできるペースでやってるんです。多くても年20試合ぐらいが今の自分にはちょうどいいですね。