今やローソン、日清食品、全日空、グンゼとさまざまなジャンルのCMに引っ張りだこ、ドラマ「MOZU」に主演するなど人気抜群の西島秀俊(43)。これほどの人気者になれたのは、先見の明と卓越したセルフプロデュース力にあった。
西島は横浜国立大学在学中、オーディションに合格して渡辺プロダクションに所属。21歳の時、連続ドラマ「はぐれ刑事純情派V」(テレビ朝日系)で俳優デビュー。同プロの若手俳優集団、MOVEの第1期生として活動する。93年に出演した連続ドラマ「あすなろ白書」(フジテレビ系)でゲイの若者を演じ、精悍な顔立ちと繊細な演技で茶の間の注目を集めた。
「西島人気に目をつけた同プロはアイドル路線で売ろうとしたが、西島は今後売れるのはアイドルではなく演技力を備えた役者で、自身もキャリアを積んで息の長い俳優を目指したいとして正面衝突。もともと映画好きで裏方志望だった西島は、やたらチヤホヤされたり、人気がなくなれば使い捨てされるアイドル的な扱われ方に納得いかず、ついに決裂。事務所移籍とひきかえに、民放ドラマ5年間出演禁止という条件をのまされた。大手プロに逆らったことで、見せしめのために干され続けたんです」(芸能ライター)
その結果、97年から02年までNHKのドラマ以外はマイナーな映画のみの出演となり、民放ドラマブームにあって忘れ去られた存在になってしまう。救いの神になったのは、北野武監督。02年に同監督の映画「DOLLS」の主役に抜擢されたことで、注目を集め、出演解禁となった。
「干されていた間、西島は酒や女に溺れることなく、ひたすら1人で映画館に入り浸っていた。食事をとる時間さえ惜しんで、映画館の暗闇の中でおにぎりをパクつき、ハシゴしては見続けた。その数、何と年に300本以上。そのすべてを役作りにぶつけた」(映画ライター)
事務所が西島の言い分をむげにしなければ、ずっと早くに西島時代が到来していたに違いない。
「『あすなろ白書』の共演者、木村拓哉は10代からアイドル路線を突っ走ることをジャニーズ事務所から強いられた。その結果、40歳をとうに過ぎたというのに、昔のまま。人気にあぐらをかき、演技力は上達せず、どんな役でもキムタクになってしまう。西島はその間役作りに手間と時間をかけ、監督の要望通りのキャラクターを体現する演技派に成長した。謙虚で控えめな性格は監督の信頼も厚く、スタッフ受けも上々。若々しさを保つため始めたジム通いで、マッチョなボディを作りあげることにも成功した。今では脱いだらすごい役者のトップに君臨、女性人気をわしづかみしている」(芸能レポーター)
理不尽な屈辱に耐え続け成功を勝ち取る──映画のストーリーさながらの人生を歩んできたことも、皮肉にも、演技派として成功するにはプラスの経験になったようだ。