●ゲスト:加藤登紀子(かとう・ときこ) 1943年、中国東北部ハルビン市生まれ。1965年、東京大学在学中に歌手デビュー。「百万本のバラ」「知床旅情」などヒット曲を生み出す。最新CDチャリティアルバム「果てなき大地の上に」(TOKIKO RECORDS)。近著「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)、「百万本のバラ物語」(光文社)。YouTube登紀子の「土の日」ライブを毎月11日に配信。5月26日(金)加藤登紀子コンサート百万本のバラ物語を東京国際フォーラムホールCで開催予定。お問い合わせ 事務局03-3352-3875
「知床旅情」や「百万本のバラ」など数多くのヒット曲を持つ加藤登紀子。このたびウクライナやロシアとの関係を中心に自身の半生を振り返った著書「百万本のバラ物語」を上梓した。ロシアによるウクライナ侵攻から、映画で共演した高倉健の裏エピソードまで天才テリーが聞く。
テリー 最新著書の「百万本のバラ物語」、読ませていただきました。僕、加藤さんにはずっと可愛がってもらってますけど、加藤さんがこんなにロシアやウクライナと関係が深いのは知らなかったです。
加藤 もともと(加藤の生まれ故郷の)ハルビンにいたロシア人は、コサックの人たちとか、ウクライナ人などの亡命ロシア人とか、バルト三国なんかからシベリア送りにされた人たちの吹き溜まりが、満州のハルビンなんです。
テリー 「百万本のバラ」は加藤さんの代表曲のひとつですけど、これも元はソ連で大ヒットした曲で。
加藤 1980年代の半ばに日本語で歌われているのをたまたま聴く機会があったんですけど、その訳詞がロシア語の歌詞をうまく表現できてないような気がして残念に思ってたんですよ。それで自分で訳詞を書いて、レコーディングしたのが1986年です。
テリー お父さん(加藤幸四郎)がオープンしたロシア料理店の「スンガリー」は加藤さんがオーナーですよね。
加藤 そうですね、うちの家族が経営しています。最初は新橋にあったんですけど、そのあとで新宿に移転して。ハルビンから日本に引き揚げてきた、行くあてのないロシア人に仕事場を提供したいということで父が作った店です。
テリー で、1971年にはさらに京都に「キエフ」というレストランも作る。
加藤 父はウクライナが大好きで。ロシア人にとっての歴史の始まりがキエフ、日本人にとっての歴史の出発点が京都。だから、父が「キエフはロシア人にとっての京都や」って、キエフと京都が姉妹都市になった翌年にお店を作ったんです。
テリー ああ、そういう思いがあったんだ。
加藤 それでキエフと京都が姉妹都市になった15周年の年に、父は歌手・加藤登紀子に、自分の大好きなキエフでコンサートをさせようと準備をしていたんですね。でも、その1986年にウクライナでチェルノブイリの原発事故が起きて。それで結局コンサートもなくなったんです。
テリー あ、そうか。
加藤 だから今回この本を書きながら、いろんなことが私の中でつながっていったんですよ。
テリー それにしても本の内容もすごかったですけど、加藤さんの記憶力にも驚きました。
加藤 参考文献を読んだり、いろいろ調べましたけどね。ただ、記憶力がすごいのは父と母です。2人とも手帳も何も残ってない中、記憶だけで本を書いてる。だから、京都駅からハルビン行きの切符が61円だったとか、全部記憶ですよ。
テリー あ、その話もすごすごかったなぁ。京都駅でハルビンまでの切符が買えるなんて。
加藤 当時は日本の主要都市からパリまで切符が買えたんですよ。そういう世界が大正や昭和のころにあったことは、今はみんなイメージできないですよね。