今川方から独立した家康は、対立していた織田信長と和睦して同盟関係を結ぶ。これ以後、信長が死ぬまで同盟関係が続くことになる。
桐畑トール氏は、信長との同盟はかなりヘンな同盟だと解説する。
「信長との同盟(清洲同盟)と言ってますけど、対等な同盟なんかじゃ全然なかったと思いますね。その後、朝倉義景討伐で金ヶ崎城を落としたあと浅井長政の裏切りで浅井・朝倉に挟まれた信長が撤退した『金ヶ崎の退き口』や、織田・徳川軍が戦った姉川の戦いなどでも前線に行かされて、【4】さながら信長に家臣のようにコキ使われていますからね。三方ヶ原の戦いで、武田信玄に大敗して、浜松城に逃げ帰った時でも、織田の本隊は援軍に出てきてくれなくて、武田信玄が西に進軍する時に浜松城を素通りしますが、このまま西に行かしたら信長にあとで何を言われるかわからないから、敗色濃厚の戦いに一人で出て行ったという感じですよ。これはもう完全に信長の家臣ですよ、家康は。今回の大河ドラマで織田信長を岡田准一さん、家康の松本潤と、ジャニーズ事務所の先輩・後輩、V6対嵐という構図は、そんな信長と家康の主従関係を思わせるキャスティングじゃないですかね」
この三方ヶ原の戦いでは、武田信玄に大敗して浜松城に逃げ帰る途中、恐怖のあまりに馬上で脱糞してしまったというヘンな逸話も有名だが、これには桐畑氏は否定的な見解だ。
「僕自身も18歳の頃からバイクに乗っていますけど、馬(バイク)に跨またがった姿勢でうんこをするのは不可能です(笑)。面白いけどウソだと思いますね」
加えて河合氏は、この時家康が負けたみじめな自分の姿を絵師に描かせ自分や後世への教訓としたという【5】有名な通称「しかみ像」について、少なくとも三方ヶ原で家康が負けた時に描かせたものでないことはほぼ間違いないという、最近の研究で明らかになった新事実を明かす。
「この絵が家康の肖像であるという解説は、尾張徳川家の当主が、尾張家に伝わる美術品を展示する徳川美術館(名古屋市)を創設した1936(昭和11)年に語ったことが広まって通説のようになったということのようです。最近になってこの絵をもとに立体像を作るために、当時学芸員だった原史彦先生(現在・名古屋城調査研究センター主査)があらためて過去の文献などを調べた結果、それが間違いだったことがわかったのです。さらに言えば、家康の肖像であるかどうかも不確かだということになってきて、家康ファンにはお馴染みの肖像も、馬上で脱糞したとか1次史料には一切記録がないので、これも後世の作り話だと思われます」
明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺の変で死んだ時、家康は信長に勧められた上方見物で堺にいて、信長死すの報を聞いて急ぎ京都の知恩院まで戻って切腹しようとしたというエピソードが伝わっている。この逸話も、家康の義理堅さを示してはいるが、家康らしからぬ短絡的でヘンな決断にも思える。
「本能寺の変の10日ほど前に家康は信長から安土城に招かれ最高の接待を受けていました。その接待の係が明智光秀でした。光秀は家康の居場所を知っていたので、家康は逃げ切れない、もうダメだと絶望したと思われます。ただ、この時、家康を案内していた信長の家臣が三河へ戻れると明言したので、家臣らの説得で家康は切腹を思いとどまりました。ただ、三河への最短距離を行くには、夜盗などが潜む険しい伊賀の山を越えなければなりません。しかし、この時、本能寺の変で信長が死んだことを知らせた京都の商人で、家康の部下でもある茶屋四郎次郎(初代)が、持参した金銭を道中の豪族たちにバラ撒いて安全を確保しながら、伊賀にルーツのあった服部半蔵などの活躍で、この難所を越えることができたと言われています。ただ、【6】近年は危険な伊賀ではなく、主に甲賀を通ったという新説も登場しています」と河合氏。
「この伊賀越えは、実際に山を越えるだけに大河ドラマ前半の“ヤマ場”になる(笑)」
としゃれるのは、桐畑氏だ。
秀吉が小田原攻めで北条氏を滅亡させたあと、家康は秀吉の命令で関東へ移封されることになる。当時の江戸は、何もない葦が茂るような小さな寒村にすぎなかったと言われながら、家康は唯々諾々とこれを受け入れ、江戸に入る、これもヘンな話ではある。
河合氏は、なぜ家康が江戸を選んだのか、その理由について新説を紹介する。
「当時の江戸は、通説のように単なる寒村ではなかったのです。現在の日比谷辺りは大きな入江で良い港があり、水陸の交通の要衝になっていた。これまで、家康の江戸入府は、単純に秀吉が警戒して、東海から関東へ遠ざけたのだと言われてきました。が、近年は、【7】北条との外交担当だったのに、交渉に失敗して小田原合戦になったので、荒れた関東の治安を復元せよ、という懲罰的な意味合いがあったという説があります」
堀口茉純(ほりぐち・ますみ)明治大学卒業。TOKYO MX「ぐるり東京江戸散歩」等に出演中。著書「江戸はスゴイ 世界が驚く!最先端都市の歴史・文化・風俗」(PHP文庫)他多数。
河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊に「徳川家康と9つの危機」(PHP新書)。
桐畑トール(きりはた・とーる)72年滋賀県出身。お笑いコンビ「ほたるゲンジ」、歴史好き芸人ユニットを結成し戦国ライブ等に出演。「BANGER!!!」(映画サイト)で時代劇評論を連載中。