徳川十五代将軍で、70歳を超えて生きたのは初代の家康と十五代の慶喜だけである。平均寿命が40歳にも満たなかった江戸時代。家康の健康長寿は独自の秘訣に支えられていた。
戦国時代を生き抜いた武将たちの中でも、家康は健康への関心がズバ抜けていた。19世紀前半に編纂された全517巻にも及ぶ江戸幕府の公式史書、通称「徳川実紀」(「御実紀」)にも、家康が実践していた健康8カ条が記録されている。今でも見習うべきものばかりだ。
(1)粗食を常とする
(2)冷たいものは口にしない
(3)季節外れのものは食べない
(4)肉もほどほどに食べる
(5)体を動かす
(6)香をたく
(7)薬について学ぶ
(8)酒は「薬」として飲む
中でも家康の健康をいちばん支えたと言われているのが「薬作り」だ。医薬に詳しいジャーナリストの笹川伸雄氏が言う。
「家康の薬に対するこだわりと研究は徹底していました。中国で発行された『本草綱目』や『和剤局方』も熟読。薬の材料になる薬草を栽培するため、駿府城在城時に4200坪もの駿府御薬園を開設しています。100を超える種類の草木を栽培し、みずからの手で調薬も行っていました。知られているものに『紫雪』『銀液丹』『万病円』『蘇合円』『烏犀円』『摩沙円』『六和湯』『寛中散』『八味丸』など数多くあります」
中でも常用したのは八味丸。これは現在の「八味地黄丸」に「海狗腎(オットセイの陰茎および睾丸を乾燥させたもの)」を加えたものだ。地黄を中心とする8つの生薬から成る八味地黄丸は元来、中国で不老長寿を目指して作られたと言われ、「腎」の衰えを改善する精力強壮の特効薬とされている。そして海狗腎は家康が69歳の時、蝦夷松前藩主・松前慶広に命じ、この“回春の秘薬”を献上させたと記されている。このことは前年の68歳時、新しい側室にたった12歳の於六を迎えていたことに関係がありそうだ。長寿研究家の永山久夫氏が語る。
「家康は房中術(セックス健康法)の達人でもあった。適度のセックスは血液の循環をよくし、ストレスを取り除く効果があります。アメリカのケニース・ペレティア博士も『100歳近くまで長生きした人のほとんどが、死ぬまで、ほぼ定期的にセックスをしていたことが判明した』と示している。人間は性的活力を失う時、寿命が尽きる。老年になっても常に適度な性的刺激を求めることが、健康長寿につながるんです」
また、紫雪は家康の九男・義直の熱気の病や三代将軍・家光が3歳時に大病を患った折などに服用させたところ、たちまち治ったという。風邪やてんかんなどに効能があり、大名の間に広まったと伝えられている。さらには文字どおり万病に効く万病円まであり、家康はほぼ全ての病気に対応するだけの薬を調合していた。とはいえ、驚くことに‥‥。
「万病円は附子(トリカブト)、銀液丹は水銀、ヒ素が主成分でした」(笹川氏)
家康はよほど中国の薬学書を勉強したのだろう。名医顔負け、みずから“御典医”だったのだ。また家康は、現代でも薬酒として飲まれている「養命酒」も愛飲していた。1602年に信州伊那で創製された養命酒は、江戸幕府ができた翌年、家康に献上された。幕府から「天下御免万病養命酒」と免許されたという。養命酒が、家康ならびに徳川家の健康を支えたと自負するゆえんである。