横浜、中日で活躍した谷繁元信氏が、中日の選手兼任監督に就任したのは、13年シーズンオフだった。だが、14年4位、15年5位と2年連続Bクラス。16年は専任監督となったが成績は芳しくなく、途中休養した。事実上の解任である。森繁和ヘッドコーチが監督代行に就くも、中日は最下位に終わっている。
「谷繁兼任監督誕生と解任劇は、裏で落合博満GMが操っていたのではと、もっぱらの噂でした。落合氏がGMに就任したのは13年シーズンオフで、谷繁監督誕生とタイミングが重なっていたからです」(スポーツライター)
ところが落合氏は、これを真っ向から否定。自身のYouTubeチャンネル〈【公式】落合博満氏のオレ流チャンネル〉で明かしたのは、
「いや、オーナーのひと声ですよ」
落合氏が解説者時代のとある講演会で「将来的に谷繁監督っていうのも面白いんじゃないかな」と語ったことがあるのだが、当時の白井文吾オーナーがそれを知って即決したのだ。「やるのであれば、4年契約で交渉すべき」とする落合氏のアドバイスによって「じゃあ、すぐに口説き落としてこい」とコトが進んだという。
「将来的な話がすぐに現実になるとは思っていなかった」
そう振り返った落合氏だが、16年の解任劇では白井オーナーが、テレビ画面に映る谷繁監督と佐伯貴弘コーチのベンチでの姿があまりにも気になったことで、落合GMに「見るにしのびないから辞めさせろ」と指示。落合氏の「契約期間の4年は守るべき。少なくとも1年終わってから検討すべき」との意見は通らず、代理監督の選定に入ったというのだ。
「谷繁の解雇と並行して、森繁和を口説かなきゃいけないっていうやつがあって。アタフタしましたよ」
オレ流を貫くあの落合氏にも、慌てた過去があったのだ。
(所ひで/ユーチューブライター)