芸能ジャーナリスト・安良佳人氏は、一連の経緯を次のように評する。
「例えば、第二次世界大戦終戦直後の連合国軍占領下の日本を描いた昨年公開の映画『終戦のエンペラー』では、片岡孝太郎が昭和天皇を演じましたが、そうして多大な緊張感のもと、役を演じるのならともかく、天皇を笑いの対象にしたのはまずかった。モノマネの場に許容範囲であるリスペクト、尊敬の念が感じられれば、出席者は疑問には思わなかったでしょう。それが伝わらなかったということは、単なる笑いの対象だったということになるのでは」
若島氏は言う。
「全部、認めたってことですよ。(討論会回避も)いちおう、それで納得してやるか、と思いましてね。もしやったとしてもね、我々に論破されてしまうことは明らかなんだから」
ここで若島氏はいったん、街宣活動を「中断」。ところがこのあと、事態は新たな展開を迎える。13年9月、長崎出身の友人知人が多いという鶴太郎が長崎市観光名誉大使に就任したのである。今年2月、鶴太郎は地元の祭り「長崎ランタンフェスティバル」に大使として参加し、4月には画家として長崎県美術館で「片岡鶴太郎展」を開いている。
正氣塾の本部が長崎市にあることを知りながらあえて乗り込む「挑発的行為」に、正氣塾は再び動いた。
「鶴太郎の写真を引き伸ばし、謝罪文と一緒に街宣車に貼って、長崎市役所に街宣かけとるとです。『こんな人間に何で大使なんかさせるんや』と。市役所からは一切反応はないですが、困っていることは確かですよ。これからも大使を辞めさせるよう、求めていきます」(正氣塾代表)
みずから火に油を注ぐことになった鶴太郎。それが冒頭の「未決着」宣言につながっているのである。そして代表は、さらなる「計画」を口にした。
「東京ではメンバーの一人が体調不良で休んどることもあるけん、(街宣を)小休止しとったとです。今後、(鶴太郎の)自宅にも(街宣を)やるように準備しています。それと、草津温泉に美術館(草津片岡鶴太郎美術館)を持っとるでしょ。順番に街宣をやっていきますよ。大使を辞めて“ちゃんとした人”からお詫びがこんかぎりは。つまり、プロダクションの社長がおるでしょ。今、その人が逃げ回っとるんですよ、私から」
若島氏もこれに呼応。
「私もまた別の方法を考えなくちゃいけないかな。やはり本人に会って話をせねばならんわな」
もはや、対面激突しか解決の道はないのか──。