ロシアの民間軍事会社ワグネルを率いるエフゲニー・プリゴジン氏が主導した反乱と武装蜂起は、独裁者として君臨してきたプーチン大統領の威信を一夜にして失墜させた。
プーチンの「裏の最側近」として最前線での指揮を執ってきたプリゴジン氏が、ワグネルの戦闘員らに「正義の行進」と称する武装蜂起を呼びかけ、ウクライナ東部のバフムト戦線を離脱したのは、6月23日夜(現地時間。以下同)だった。
翌24日午前、ロシア南部のロストフ州を制圧したプリゴジン部隊は、ロシア正規軍との交戦を重ねながら北上を続け、ロストフ州北部のボロネジ州やリペック州も制圧。同日夕には早くも首都モスクワから約200キロの地点にまで兵を進めた。ロシア情勢に詳しい国際政治アナリストが明かす。
「5000人規模の反乱軍がモスクワを目指して進軍中との報が舞い込むや、クレムリン(ロシア大統領府)内はパニック状態に陥ったと聞いています。この時、首都防衛のための応戦戦力としては、大統領警護部隊くらいしか残されておらず、首都へ続く幹線道路を破壊して反乱軍の進軍を遅らせるのが精一杯という状況だった。そんな中、恐れをなしたプーチンがモスクワからサンクトペテルブルクへ逃れた、との情報も流れました」
ところがその日の夜、プリゴジン氏は一転、「流血の事態を避けるため」として、部隊の引き上げを宣言する。そしてプリゴジン氏を「裏切り者」と糾弾して「必ず罰する」と豪語していたプーチンも「プリゴジンらの罪は問わない」と掌を返してみせたのだ。
急転直下の収束劇の舞台裏で、何が起きていたのか。
「ウクライナによる大規模反転攻勢が開始される中、内戦の危機に直面して震え上がったプーチンが、ベラルーシのルカシェンコ大統領に泣きついたのです。要するに、プリゴジン氏と20年来の付き合いがあるルカシェンコに頼み込んで、裏切り者との取り引きに持ち込まなければならないほど、プーチンは追い詰められていたというとになる。しかもルカシェンコは、プーチンがロシアの属国の領主として支配下に置いてきた人物。プーチンにとっては、まさに屈辱と敗北の24時間だったと言っていい」(前出・国際政治アナリスト)
ちなみに、プリゴジン部隊は進軍中に、少なくとも7機の正規軍ヘリを撃墜したと言われている。その反逆者にベラルーシへの亡命という形で命の保証を与えたのだから、今のプーチンが内乱を自力で鎮圧する威信すら失いかけているのは明らかだ。