今年6月に通算14作目のオリジナル・アルバム「SOFTLY」をリリースした山下達郎は現在、24都市で開催中のコンサートツアー「PERFORMANCE 2022」の真っただ中にいる。
現在もなお、日本で最もチケットが取りづらいアーティストとして知られる山下だが、そんな彼の原点が、73年から76年まで活動していた伝説のバンド、シュガー・ベイブだった。
シュガー・ベイブは大貫妙子のデモ・テープ作りに山下が参加、その後、山下が結成したバンドに大貫が加入して、73年初頭に誕生した。当時からメジャー7thや分数コード進行を取り入れた楽曲は斬新だったが、いかんせん、インディーズバンド。そんな彼らの運命を決めたのが、大瀧詠一との出会いだった。
当時、大滝ははっぴいえんどに在籍。たまたま山下がグループ結成前に自主制作したソロアルバムを耳にし、会ってみると、すぐに意気投合。はっぴぴいえんどの解散コンサートで共演するというビッグチャンスを与え、すぐにアルバム制作に乗り出すことになる。
そして75年4月に、大滝のレーベルであるナイアガラから発売されたのが、シュガー・ベイブ唯一のアルバムとなった「Songs」だった。
オリジナル盤には11曲を収録。最後には「Sugar」がおまけとして添えられているが、うち、「ためいきばかり」が村松邦男、「蜃気楼の街」「いつも通り」「風の世界」の3曲は大貫妙子がリードボーカルを担当。残りを山下が歌っている。
中でも、名曲として名高い「Down Town」は、当時のこのバンドが持つ曲作り、編曲、コーラスワークなど、全てが網羅された、シュガー・ベイブならではの至極の1曲だった。
だが、全く売れなかった。いや、それどころか、他のミュージシャンが手を出していないサウンドだったことで、的外れな評論や中傷が相次ぎ、結局、アルバムの価値が大衆に理解されるまでに、20年余りの歳月が流れることに。この事実に、改めて驚きを禁じ得ない。
シュガー・ベイブは76年4月1日の、荻窪ロフトでのライブを最後に解散したが、彼らの音楽が、その後のピチカート・ファイブや、オリジナル・ラブなどの「渋谷系」に受け継がれ、現在も多くのミュージシャンに多大な影響を与えていることは言うまでもない。
アルバム「Songs」は、そんな類い稀なる1枚だったのである。
(山川敦司)