1998年5月、松田聖子が自身の治療にあたった6歳下の歯科医師と、交際2カ月で結婚発表。「ビビビ婚」なる言葉が流行したが、その聖子同様、患者と担当医として知り合い、交際4カ月で電撃結婚したのが、鈴木杏樹だった。
鈴木は1998年1月、番組収録中に腹痛を訴え、救急車で駿河台日大病院に搬送されて、緊急手術を受けた。この時の担当医が夫となるA医師で、以降、2人はメールで予後の症状などを報告する中、交際に発展。98年6月1日、都内で結婚報告記者会見を開いた鈴木が語ったのは、
「川が流れていくように、あれよあれよという間に結婚に向かっていました。一生一緒にいようね、と話しています」
そして結婚に至った決め手については、
「私が口にする前に『僕の好きな画家はモネなんだ』なんて言われてビックリ。好みが気持ち悪いほど似ているんです。まるで調べたのかと思うくらい(笑)」
趣味や価値観が驚くほど合致していたそうで、子供については、
「自然に任せて、産めるだけ産みたい」
と嬉しそうに頬を赤く染めた。
だが、運命とは残酷なものだ。結婚から14年が経った2013年2月、難病に冒されたA氏は移植手術を受けるため、入院中だったアメリカの病院で息を引き取ったのである。この時、56歳。しかも、彼女のもとに「夫が危険な状態にある」との連絡が入ったのは、生放送「ZIP!」(日本テレビ系)の本番前だったという。
2月13日、東京・築地本願寺でしめやかに行われたA氏の通夜を終え、記者会見に臨んだ杏樹は、
「本番中に留守電を聞きまして、連絡をさせていただいて。その時に『意識がなくなりました』という話で…。本番が終わって3、4時間後に亡くなったと連絡をいただきました」
最期の瞬間は意識がない夫に電話口で「ありがとう。頑張ったね」と声をかけたことを明かし、列席者の涙を誘った。
だからこそ、2020年1月に彼女と俳優・喜多村禄郎との不貞スキャンダルが報じられた時には驚いた。とはいえ、女優である前に、彼女も一人の女性だ。夫と死別して6年以上。男性に恋愛感情が芽生えても、なんら不思議なことでないだろう。
だが、相手が元宝塚歌劇団宙組トップスターの貴城けいを妻に持つ既婚者。しかもデートの最中、彼女が運転する高級外車が「平日料金は休憩4時間で3300円~」という千葉県内のホテルに直行したと報じられたことで、連日ワイドショーを賑わせる騒ぎに発展してしまうのだ。
筆者がそのホテルを訪れ、1階エントランスに入って確認してみると、タッチパネル式モニターで部屋番号を選び、印字された紙が出てくるシステム。むろん、帰りも自動精算だ。したがって、スタッフと顔を合わせることはない。このホテルで、2人は逢瀬を続けていたのか。
禁断の関係が発覚後、2人は事実関係を認めて謝罪文を出したが、貴城の怒りは収まらず。鈴木は全てのレギュラー番組を降板した。禁断の愛の代償は、あまりにも大きかったのである。
(山川敦司)
1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。