震災翌日の3月12日、菅氏は福島第一原発を、ヘリコプターで直接視察した。これについては「パフォーマンス」との批判が起こったが、見苦しすぎる言い訳は続く。
「現地の情報がきちんと入らないのは決定的でした。こういう時は現地の責任者と話をしなければわからない」
緊迫状態にある現場で、故吉田氏から説明を受けた菅氏は、帯同した下村健一氏(54)=当時内閣広報審議官=にこう語った。
「やっと話のできる人と会えたね」
本当だろうか?
全電源喪失後、複数の「自称・原子力専門家」民主党議員たちが、知人に連絡をしまくり、官邸に呼んでは説明させていた。つまり、事故を手柄に変えようとしていたのだ。菅氏の発言を聞いて、
「話ができる? 冗談じゃない。あの男は誰の話も聞かなかったんですよ!」
と激怒するのは、官邸に呼ばれた福島第一原発と同タイプの原子炉を設計した工学関係者である。
福島第一原発には全電源が喪失しても、「IC」と呼ばれる自動循環式の冷却装置が装備されていた。
「菅さんと会いましたよ。冷却系が全部ダメなら、圧力鍋を空だきしている状態になるのは明らかです。なのでICの使用を勧めましたが、一向に理解しない。『とにかく作動させるべきです!』と少し強く言った時に、菅さんが爆発したのです」(工学関係者)
菅氏は発作を起こしたかのような異常な状態に陥った。この工学関係者は、事故対策の最高責任者の醜悪な姿に絶望を覚えたという。
「本当に何を言っているのかわからない。日本語にもなっていません。ただ叫び、わめいているだけです。子供がかんしゃくを起こしている感じですね。誰かの話を聞く能力はなくなっていました。私以外の多くの人も同じことを経験したのではないでしょうか」
映画の中で、このことが真実だと思わせる証言がある。当時、原子力安全委員会の委員長だった班目春樹氏(66)の言葉がそれだ。班目氏は、水素爆発の可能性を指摘しなかったことを非難されているが、
「それまでいろんな質問に答えることばかりやっていて、格納容器が高温高圧になって何時間もたった。その間に水素は漏れているに決まっているという事態に気がつかなかった自分に対して腹を立てました」
「水素爆発であるのは瞬間にわかりました。爆発のしかたも水素爆発でした。それは見ればわかるんです」
専門家である班目氏は、興奮した菅氏や、素人集団の民主党議員に「原発講座」をやらされ、疲弊しきっていたことがうかがえる。
「班目さんが批判されるのはしかたがない。しかし、尋問状態で追い詰められて考える余裕はなかったでしょう。もし彼が事故対策に集中する状況だったら、水素爆発は防げたかもしれない」(工学関係者)
やはり事故は人災だったと言えよう。