星野監督が感情を剥き出しにしてぶつけてきたのは、何も選手に対してだけではない。相手チームはもちろん、審判に怒りをあらわにするのも真骨頂だった。
監督として過去に6度の退場処分を受けているが、2000年5月6日の横浜戦では、球審の判定に猛抗議したあまりに‥‥。
「見送った球をストライクと判定された立浪和義(45)が球審の両肩を突くや、星野監督が全力疾走で駆け寄ってきて、球審に左肩でぶつかる猛タックルを仕掛けました。星野監督は立浪、大西崇之(43)とともに退場処分となりましたが、騒動の際、球審が肋骨骨折を負っていた。すると一般のファンが星野監督、立浪、大西の3人を刑事告発したんです。3人は起訴猶予処分でしたが、書類送検されました」(スポーツ紙デスク)
ちなみに、この年は95年オフから続いた、中日の第2次政権の最終年である。
当時を知る関係者は「第1次政権時よりは選手への当たりが軽くなった」と口にするのだが、“情念監督”の気質がそう簡単に変わるはずもなかったようだ。
「第2次政権時代にも、打たれた投手をベンチ裏に呼びつけることがあったそうです。ある投手が打ち込まれたあと、監督のもとへ行くと、目の前で野手がボコボコに殴られた。続けて『顔の形変えたるか!』と、すごまれたそうです。結果的に、その投手が鉄拳を食らうことはなかったようですが、気持ちを新たにしたといいます」(球界関係者)
さすがに、01年オフの阪神監督就任以降は、選手に“愛のムチ”を振るうことも意識的に自粛するようになったという。
「楽天監督時代には『今の子に合わせないといけないからな。殴られてきた選手とは違うから』と話していた。それでも、過去のイメージがあるから選手はビビりますよ。10年オフの就任早々、嶋基宏(29)に対し『キャッチャーいうのは、いろんな意味で責任負わなきゃいけん。殴られるのも覚悟しとけ』とメッセージを送っただけでも相当効果はあったでしょう」(楽天番記者)
人間に手は出さなくてもモノには当たった。
「本拠地のコボスタ宮城では、ベンチの扇風機の網がよく壊されてますね。ベンチ裏にある金属素材の四角いゴミ箱の形状が、何度も蹴り飛ばされて新品の頃の面影すらない」(楽天番記者)
いつまでも血気は盛んなのである。