時代劇を代表するヒーローに、丹下左膳がいる。左膳は林不忘が昭和2年(1927年)に「東京日々新聞」などの新聞連載小説「新版大岡政談・鈴川源十郎の巻」で初登場させたキャラクターで、これを原作とする映画の題名、およびその作品内に登場した架空の剣士である。 右目と右腕のない隻眼隻手で、ニヒルで個性的な人物像が人気を呼んだ。その後、大河内傳次郎をはじめ、数多くの名優が映画やテレビでこの役を演じている。
左膳は実在の人物ではないが、それを彷彿させる剣士が幕末時代にいる。伊庭八郎だ。八郎は天保15年(1844年)「幕末江戸四大道場」のひとつ「練武館」宗家・伊庭秀業の長男として生まれた。
幼少の頃は剣術よりも学問を好んでいたが、次第に頭角を現すと、「伊庭の小天狗」「伊庭の麒麟児」の異名をとるようになった。江戸幕府に大御番士として登用され、慶応2年(1866年)には遊撃隊の一員となって江戸を出立した。だが慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗れ、江戸に舞い戻っている。
その後、遊撃隊は再編成され、彰義隊が上野戦争を始めると、これに呼応。新政府軍の江戸入りを阻止するため、箱根の関所を抑えようとして小田原藩兵と戦闘を開始したが、箱根山崎の戦い中、湯本・三枚橋付近で足に被弾する。
さらに背後から小田原藩士・高橋藤五郎に、左手首の皮一枚を残して斬られてしまう。それでも振り向きざま、首へのひと突きで相手を絶命させたというから、すさまじい剣技だ。
八郎は従者・阪本鎌吉に担がれて味方陣地の早雲寺へ逃れたが、左腕の切断面から二寸程の骨が飛び出ていたという。だが「とんと痛かねえやい」と小刀ですっぱり削り落とし、その後も戦い抜いた。並みの精神力ではない。
榎本武揚が率いる旧幕府脱走艦隊が長崎丸で奥州へ向かったのを追うために、美賀保丸に乗船したが、銚子沖で船が座礁。それでも諦めず、付き添っていた本山小太郎とともに、アメリカ艦で箱館へ向かった。
箱館到着後は旧幕軍役職選挙で、歩兵頭並、遊撃隊隊長となった。徹底抗戦を主張し、隻腕ながら遊撃隊を率いて奮戦したが、木古内の戦いで胸部に被弾。虫の息となるものの、痛いとも言わなかった。開城の前夜に榎本が差し出したモルヒネを飲み干して、自決したという。享年26だった。
ニヒルながら、ある意味、自らの正義感に殉じた剣客像は、丹下左膳のモデルというべき姿なのである。
(道嶋慶)