1996年、28年ぶりに五輪出場を果たし強豪ブラジルを破る快挙を成し遂げた、アトランタ五輪の「マイアミの奇跡」。出場していた前園真聖氏が、自身のYouTubeチャンネルにメンバーだった白井博幸氏と伊東輝悦を招き当時を振り返っていた。
そこでは何といきなり白井氏が、
「あまり覚えていない。サッカー興味ないし、今の五輪代表とか知らない」
などと切り出し伊東も、
「振り返らないので覚えていない。ブラジル戦の得点は覚えている」
と打ち明けた。時間をさかのぼってアトランタ五輪の最終予選を振り返っても伊東は、
「勝てば五輪出場が決まるというサウジアラビア戦の2日前ぐらいに呼ばれて、『相手の中盤の選手をコントロールしてくれ』というミーティングはした」
と話したが、呼ばれた人数が自分1人だけだったのか2人だったのか、呼んだのが西野朗監督、あるいは山本昌邦コーチだったのかも覚えていないという。
白井氏の場合は宿泊したホテルの同部屋が鈴木秀人だったことは覚えていたものの、伊東は「まったく覚えていない」の一辺倒。逆に何を覚えているのか聞かれると、
「サウジアラビアに勝ったこと。最後にゾノさん(前園氏)が入れて、勝ち上がってホッとしたなぐらいかな」
とした。
前園氏はそんな伊東氏に驚くばかりだったが、西野監督については饒舌で、
「アタッカーだったのが、中盤の少し引いたポジションをやるようになった。当時、西野さんがコンバートしたと思う。試合前に配置がそこになっていて、やれるかなと思ったらやれるし面白い。後で西野さんに聞いたら、『やれそうだから』。これでプレーの幅が広がった。感謝しかない。そのおかげで現役が続けられている」
と感謝の言葉を口にした。伊東氏は48歳になった今もJ3のアスルクラロ沼津で現役を続けている。当時のことは覚えていなくても、サッカー人生に大きな影響を与えたマイアミの奇跡だったことは間違いない。