年明け早々、体を張ったカルト芸の重鎮たちが、次々と亡くなった。1月16日にエスパー伊東がこの世を去り、「ああ、悔しくてしょうがない!」と嘆いていた電撃ネットワークの南部虎弾もその4日後、あとを追うように眠りについた。今回は彼らの人柄がわかるエピソードを振り返りたい。
関東芸人に詳しい高田文夫は、
「アイツも大病してたからね。しょっちゅう心臓も弱かったしさ」
と南部に思いを寄せる。
南部はもともと、ダチョウ倶楽部の初代リーダーだった。上島竜兵と初めて会った時の話だ。
「『お前が上島か』『上島です」』って。で、いきなり『ビー玉、何個飲めんの?』。そんなオーディションあるか。それが最初に交わした会話だよ。『1個も飲めない。飲んだことないですね』って竜ちゃん言ってんだから。どっちも死んじゃったよ。なぁ、いろんなことあるよ」
高田はしみじみとそう語るのだった。
ものまね芸人・ダンシング谷村も、同様のエピソードを披露する。
「実はダチョウ倶楽部から南部さんが分かれて電撃ネットワークを作る時に、僕のところに電話がありましてね。『お前、ケツから火吹きながら鼻からミルク出せるか』って言われて」
いつも無理難題のスカウト文句を投げかけていたようだ。戦慄を感じた谷村は、
「それはできません。それができるのは、三五十五しかいません」
と必死に答えたという。
爆笑問題の太田光が言う。
「谷村と三五十五は友達だったっていう。そいつを押し付けたんだよ。それで三五十五が電撃のMCになったんだって」
(坂下ブーラン)
1969年生まれのテレビディレクター。東京都出身。専門学校卒業後、長寿バラエティー番組のADを経て、高視聴率ドキュメントバラエティーの演出を担当。そのほか深夜番組、BS番組の企画制作などなど。現在、某アイドルグループのYouTube動画を制作、視聴回数の爆発を目指して奮闘中。