いったいこの選挙は何の意味があったのか──。選挙結果を見ながら、そう考え込んでしまったムキも少なくないだろう。
先週行われた総選挙、自民・公明で326議席、公示前と比べて2議席増という与党の勝利で終わった。議席数で大勝とはいえ、内実は公明が4議席増、自民で2議席減という結果。これをどう捉えるべきか、メディアの解釈は分かれた。
翌日の朝刊で読売は「アベノミクスを継続し、デフレ脱却を確実に実現してもらいたい。そんな国民の意志が明確に示された」と前向きに理解、産経は「『強い日本』を取り戻す路線を継続、加速することに国民は強い支持を与えた」と都合よく解釈した。
一方、朝日は与党の大勝に「それは決して『何でもできる』力を得たことにはならない」と手垢のついた常套句で釘を刺し、毎日は「『成果を待とう』と期待をつないだのが実態だろう」と諦念気味に分析した。
客観的事実を並べてみよう。前回の選挙からわずか2年、700億円をかけての解散で結果は与党議席数はほぼ同じ。閣僚人事は全員再任で1カ月前と変わりない。こう見ると不毛な選挙だったとしか思えない。
それは有権者の行動が示している。
今回の投票率は52.7%と戦後最低だった。自民党の比例得票率は33%。比率で割ると、与党政権への信任は有権者の3分の1程度ということだ。一方で、民主党の死に票(落選者への票)率は8割近いだろう。
では、今回の選挙は何の意味もなかったのか?
意義はあった。用済み政党や政治家の大掃除だ。
最も痛手を受けたのは次世代の党だ。最高顧問の石原慎太郎氏、藤井孝男氏の旧自民大物、そして前杉並区長・山田宏氏に前横浜市長の中田宏氏の松下政経塾出身組。これら右派勢がこぞって落選した。旧みんなの党では創設者の渡辺喜美氏、民主党では元総務相の樽床伸二氏や現職代表の海江田万里氏も沈んだ。
落選した“つわもの”たちの顔を並べてみると、有権者の合理的な判断も浮かんでくる。
政策への理解、思想の方向性もあっただろう。埋没する第三極を回避したい思惑もあっただろう。
だが、多くの有権者にとってそれ以上に大事だったのは、一人の人間として信用できるかどうかという軸だったのではないか。
居並ぶ落選組の過去の発言や行動を振り返ると、そう思わざるをえない。女性蔑視やむやみな自国への自画自賛に近隣国への勇ましい挑発といった発言。行動では政党交付金の私腹化や違法業者の広告塔就任などお粗末な実態がある。選挙期間中、「私は本当はいい人なんです」と何の説得力もない説法を説いていた人もいた。
こうした信用ならざる人たちが一斉に整理されたのは、国政にとってはプラスだったはずだ。
多くの調査で出ているように、国民は今の安倍政権の統制的な党支配と強権的な政権運営を全面的に支持しているわけではない。代替できる政党や人材がないから自民に入れる。それが今回の選挙だった。
政権選択に関係がない、騒がしいだけの人たちは早めに国政周辺から退場してもらう。その意味で今回の選挙には意義があったのだと思いたい。
そこで残るのは、なぜこの時期に首相は解散総選挙をしたのかという謎だ。金と時間と労力をかけた意味はどこにあったのか──次回、その真意に迫りたい。
◆プロフィール 森健(もり・けん) 68年生まれ。各誌でルポを中心に執筆。企画・取材・構成にあたった「つなみ 被災地のこども80人の作文集」「『つなみ』の子どもたち」で、被災地の子供たちとともに、第43回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。